1960.1.2(土) 新しい下宿先
午前中に支度を済ませて歯の治療を受く。
(注: 我が家は祖父の代から歯科の開業医)
食事代わりの汁粉を食べ、離れにて家族談笑。
3時半好物の中華そばをとり、4時のバスで上京。
(注: 桐生始発八重洲口終点の急行バス¥280円也)
下宿着7時半。
火を貰い、茶の接待を受く。
階下(した)の娘さんはなかなか感じよき人なり。
良き下宿人になりたし。
西荻時代の散歩コース(善福寺池~東京女子大~立教女学院)
(注: 前年の秋まで同じ西荻窪の田村実さん宅に下宿していたが、一家が久我山に転居することになり、懇意にしていた近くの井上喜一郎さん宅を紹介された次第。
因みに田村婦人の弟さんは第一次南極観測隊で宗谷の航海長の任にあり、連日新聞に大きく掲載され家中大騒ぎだった。また井上婦人は娘時代に桐生の名家、書上家の女中だったことがあり、関口歯科医院に通ったことがあると言う。これも奇縁というかびっくりするような話だった。
それだけではない。私の中学時代の同級生(金子安江さん・・実家は書上家に近い横山町にあった)が早稲田の文学部で親友となった鴨下女史と3人で駄弁っていたとき、彼女と井上さんの次女・・・たしか道子さんと言ったと思う・・が中学・高校時代に親しくしていた同級生だったことが判明した。という訳で西荻は私にとって特別の意味を持つ土地になった。)
追記): 道子さんではなく明子さんだったことに今日(2012.2.7)、 "1961.11.11(水) 西荻の繋ぐ縁" を書いていて初めて気が付いた。 謹んで訂正させていただきます。
ラベル: 新しい下宿先
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