2012年1月9日月曜日

1961.10.31(火) Pity's Akin to Love? ・・・負け惜しみ?

3,4 限とも休講なので、まったく時間をもてあましてしまった。 さりとて勉強する気にもなれないので、学校中をぶらぶら歩き回って時間を潰すほか無かった。

1時少し前、図書館の北側を通って矢内原公園のほうへ行こうとしたら、向うから滝田先生が俯きがちにやって来たので、一寸気が引けて僕も下を向いたまま擦れ違ってから、ふと目を上げると P が彼と2人で来るではないか ・・・・・・
平然とやり過ごす心算ではあったが、どうにも思うに任せず、顔がこわばってしまうのを如何ともしようがなかった。

ホールの前で、堀篭、山口と話しているとき、何気なくテントの向うへ目をやると、MK さんが誰かと話しているところだった。 3時半頃、アーケードで掲示を見ているところにも行き合わせたが、・・・・・
Wistaria に対する気持ちに多少通ずるところのある pyty に似たものを覚えた。

5限の政治史が終わった時は、もう辺りは真っ暗だった。
病院へ行こうと思って、渋谷で堀篭と別れたが気が変わって見合わせることにして帰宅した。

(注: 母の術後の容態も気がかりだったが、授業のことも女性のことも頭から離れなかったというのが正直な所である。
女性について言えば、前にも何度か書いたような気がするが、華やかだが別世界の人に思える P と、物静かだが毅然としていて近づき難い雰囲気の MK さんや Wistaria の間を揺れ動いていた。 しかし、自分からは決して動こうとしない引っ込み思案の性格は相変わらずだった。

今にして思うに、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大卒業式のスピーチで言った Third Story のみの人生だったと言えるだろう。 要するに人生における様々な事件の意味は、後になって見なければ判らないということである。 若しかすると彼自身、本心は、そうだったのかも知れない。)

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