1961.10.20(金) 経済政策総論・・・マル経教授の陰湿な懲罰
620番で高橋と一緒になった。四十分も経つのに先生が現れないので、休校と見て900番へ行き、杉山、武藤らと一緒になった。 経済政策総論の横山教授は、かなり、資本主義に批判的であるように思われる。
テントの所へ行ってみたが、まだ語学の教科書は何も来ていない。 そこで午後の独語には出ないことにし、杉山、黒川、武藤と4人で、まず10円ニュースを見、(出てきたところで、東、奥原、門野の3人に会った)、次にブラジルで60円也のコーヒーを飲み、3時間以上粘って引揚げ、渋谷駅で別れた。
900番で杉山からその後の成り行きを聞いたが、H から返事(2度目の手紙に対する)が来たそうで、案外脈のありそうな様子だった。旨くいくことを祈るや切である。
それにつけても明日こそは P の姿を見たいものである。
(注: 横山教授のことに軽く触れているが、実はガチガチのマルクス主義者で、彼の意向に沿わない答案には無条件で可をつける人物であることを後で知った。 何しろ毎年同じ問題を出すばかりか、クラスの誰だったか、あとで、一部何10円かの模範答案を手に入れて見せてくれたが、私にはまったく受け入れられない論旨がぴったりノート1頁分に収まっており、その末尾に、ご丁寧にも 「以上、優」 と書かれていたのには、唖然とした。 当時の東大が、マルクス主義布教の大本山だったことを改めて認識させられた。 この調子で2年の後期からは、必修科目の経済学でかなり可を稼がせてもらうことになったが、それがどういう意味を持つかを知ったのは、4年生になって、就職活動を始めた時である。 何と採用側は、2年後期からの成績しか見ないことになっていたのである。 そんなこととは露知らず、擬似恋愛に現を抜かしていた自分の要領の悪さと言うか、世間知らずの子供っぽさに呆れはしたが、迎合する気はさらさらなかった。)
1 件のコメント:
当時の東大経済学部はマルクス経済学者が牛耳っていて必修科目の大半はいわゆるマル経でした。片や法学部は東京裁判史観でガチガチでしたから、両学部共通の必修科目だった「憲法論」などは、馬鹿馬鹿しくてまともに聴いて居られませんでした。これらの必修科目で可をずらりと並べていたのは私くらいで、殆んどの学生は何の疑問も待たず素直に洗脳史観に沿った答案を書いて優を取っていました。全学連の闘士などは左翼教授のお気に入りですから当然全優です。
必修科目で不可をとっても翌年転向して優を取れば就職には支障がありませんが、可を取ったらそれだけで一流会社はアウトです。つまり、可というのは許しがたい学生に対する懲罰の烙印なのです。
私を不可にしなかったのは、成績表を不可逆的に汚すためでした。
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