2011年11月10日木曜日

1961.10.21(土) 経済学のハンデを語学でカバー?・・・就活では通用せず(2年後に知る)

昼休みに高橋、小柳に会った。 小柳とは木曜4限の小林先生の仏語を択る約束をした。 露語は同じ時間なので択れそうもない。
帰りに、中村と一緒になり、二人で神田の卸売問屋の所へ行き、大分割安で仕入れることに成功した。 中村の手腕には舌を巻くほかない。 神田駅前で別れ東京駅まで歩き、南口から等々力行きで病院まで行ってみた・・・
帰りは渋谷まで歩き通し、途中二軒ばかり、古本屋を覗いてみたが求める経政の教科書は見当たらなかった。
笄町の交番の辺りで、止せばよいのに左に折れ、近道をしようなどとしたおかげで道に迷い、赤十字産院前から更に迷って、遂に恵比寿に出てしまったのには驚いた。 全く疲労困憊の極で、あれほど渋谷の灯を懐かしく見たことはなかった。 高円寺、阿佐ヶ谷でもやはり見つからなかった。

(注: 当時から稼ぐより節約すると言う内向きの性格は、未だに変わっていない。 要するに人と交渉するのが嫌いなのだ。 3年前に発症した急性A型大動脈解離の後遺症で全身に及ぶ虚血性の皮膚~筋肉~臓器不全に悩まされているが、個々の症状が緩慢ではあるが軽快しつつあるのに、毎週のように襲ってくる鬱症状には一向に回復の実感がないのも、幼児からのこうした気質が災いしているのかも知れない。

病院とは、母が肝硬変の予後観察とその過程で見つかった子宮筋腫の手術のため入院していた慈恵医大病院のことである。)

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