2010年11月5日金曜日

1960.11.5(土) 早慶戦中止のおかげで・・・!

渕上に勧められて早慶戦を見に行こうと思い、千駄ヶ谷まで脚を延ばしたところ、駅のアナウンスで中止と知り、少々がっかりして帰ってきた。 西荻の駅で改札口を出るや否や後ろから誰かに呼ばれたので驚いて振り返って見ると奥原たちであった。
これから東女の文化祭に行こうというのである。よかろうと言うわけで、東、門野、江田、それから奥原と言う面々でバスに乗って繰り出した。 先方では、昨夜、駅で会った 竹ノ内や、水口、村田以下、2~3人来ていた。

いろいろ中を見て回ったわけだが、書道のところで変体仮名に感心したことと、数学のところで幾何の問題が解らず残念だったことのほかは、別にこれと言って記憶するほどのことはなかった。 ただ、途中、以前、吉祥寺の寿司屋の二階に集まったとき来ていたおとなしそうな女の子を見かけたが、実に純な感じで印象的だった。 連中は3時から何か愉快なことを始めるとか言っていたが、こっちは仕事があるので先に引き揚げることにした。

ところが、それが少し早すぎたので仕方なく金子さんのところへ駒場祭のプログラムでも持って行ってやろうと思い切って出かけたところ、途中で誰やら友達と一緒にこっちに来るところにばったり出会ってしまった。 友達には気の毒なことをしたようだが、金子さんに言わせれば、助けの神だったとか。 すぐ帰るつもりだったが、そんなことで捕まってしまい、結局、一寸、立ち寄ることにして部屋に着いてみると、驚いたことに金子さんのお父さんがいらっしゃっていたので、もう何と挨拶したものやら冷汗三斗の思いであった・・・それはともかく実に面白いお父さんなので気持ちがよかった。 三十分ほどして引き上げたが、19日(土)には、石川さんと2人を案内する約束をして別れた。・・・

(注: 東とは、ソプラノ歌手東敦子の弟で、後の農水審議官東久雄のこと、江田と言うのは、社会党構造改革派の盟主江田三郎の息子で、後の参議院議長江田五月のことである。 また、仕事というのは、この後期から始めた家庭教師のことである。 中野区野方の女子高生宅だったと思う。 時間が余ったので金子さんのところへ寄っていくことにしたのは、彼女の下宿先がその途中にあったからである。 東女の文化祭に行くことになったのも偶然なら、金子さんのお父さんに会うことになったのも全くの偶然である。 彼女のお父さんと会ったのは、これが最初で最後だった。 もし、早慶戦が中止(雨で?)にならなかったら・・・ こんなことが有るのだろうか! 
石川さんと言うのは、桐生市立西中学校時代、我々の学年で一番だった才媛で、現役で御茶大に進学していたのですでに3年生だった。 当時は、こうしてお互いの学園祭に招待し合うのが、大学生活の楽しみの一つだった・・・)

ラベル: