1960.7.?(?) 前期最後の授業?
小宮さんの授業が終わって皆と階段のほうへ行ったとき、丁度 MKさんが110番教室に入っていくところを見た。 あとで何の授業だったのか戸口の時間割表を見たら、3語の露語であった。 MKさんのことだからその位はやりかねないにしても、理科生でありながら 3語までやろうという意気にはまったく感嘆するとともに圧倒されるのを如何ともしがたい・・・
(注: 小宮さんというのは後年有名になった彼の小宮隆太郎のことだったのか? 当時の駒場は、マル経一色で近経はやっていなかった筈だから、多分ドイツ語か何かだったのだろう。 駒場の授業で比較的まじめにやったのは、英独仏の3ヶ国語と露西羅を少々、ほかには哲学・地学・社会学くらいだった。
それでも上位3分の1には入っていたのだから、行こうと思えば法学部にはらくらく行けたが、法学部なんぞは世間の常識を教えるところで学問や研究とは無縁の存在だと思っていたから、結局行くところがなくて途方にくれていた。 大石ゼミで数理経済をやることになったのは、クラスメートの奇人? 小西靖生君が頻りに キンケイ、キンケイ と言うので、いったいどんな学問かと聞いたら、とにかくやたら難しい数学を使う学問だと言うので、それなら法学よりは多少ましだと思ったに過ぎない。
今から思えばそんな状態だったから日銀などに入れるはずも無かった。 MKさんが理系だと書いてしまったので友人の中にはそれだけで本人を特定できるものがいるかもしれない。 その位、当時の東大では女子学生が珍しく、ましてや理系ともなれば尚更のことだった。)
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