2011年4月20日水曜日

1961.4.7(金) 早大文学部の女子学生たち

前からの約束に従って、一緒に早稲田まで発表を見に行った。 待っている間に、はからずも彼の森田女史なる人物に面会の栄を得ることができ愉快であった。・・・

(注: 誰と一緒に行ったのかと言えば、例の金子安江さんである。 何の発表を見に行ったのかと言えば、同じ文学部の中の最難関学科?であったらしい仏文学科への転科試験の結果である。 合否がどうだったか、また実際に転科したのかどうかも覚えていない。 しかし、彼女がアテネフランセに通っていて相当な実力に達していたのは確かだ。 それは、私も当時、親友だった小柳皓正君と一緒に3語の仏語にかなり力を入れており、サルトルやラディゲの短編くらいは読みこなす所まで行っていたのでよくわかる。 森田女史というのは、金子さんからたびたびうわさを聞いていた大物女子学生で飛び切りの美人でもあった。 いずれにしても、きわめて断片的な記憶しかないが、早大のキャンパスには何度か出入りし、ときには天麩羅学生として、例の女子大生亡国論で有名だった暉峻康隆教授の講義に紛れ込んだりしていたので、政経学部を受験して落ちた割には、悪印象はない。 )

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