2010年5月17日月曜日

1960.5.11(水) 中学時代の級友

お客様だと言うから誰かと思ったら金子さんだったので始めは何と言って挨拶したらよいのか見当も付かず、いろいろ訳の判らないことを喋ってしまって全く思い出しても気が引ける。・・・駅の前などで1時間以上も立話するなんて・・・融通がきかなすぎる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金子さんとは、昨年、桐生の保健所で会って以来、1年以上経って再び相まみえたわけだが、実際こうも変わるものかと驚かざるを得ない。 ・・・まったく意外に・・・と言うか洗練されていて、こちらが引け目を感ずるくらいだった・・・


(注: 金子さんというのは、1960.1.2(土)新しい下宿先 の注欄で触れた桐生市立西中学校時代の級友金子安江さんのことである。クラスでは私と交互に級長を務めるなど、それなりに“できる”女の子だった。

彼女はいったん某女子大に入学し寮生活を始めたものの、旧弊な学風に馴染めず半年くらいで退学し、翌年の春、早大文学部に入り直していた。 その際、私の桐生の自宅に相談の手紙をよこした経緯があるが、実際に会ったのは、桐生の保健所へ入試用の健康診断書を取りに行った時以来で、その時は“1浪”受験生らしく流石の美少女も形無しの風情だった。 ・・洗練されて・・・云々・・は、西荻の下宿先に訪ねてきた彼女が、そのときの印象からは想像も付かない変わりようだったからである。

彼女は、その後、サンパウロ大学で柔道を指導する夫君と共にブラジルに渡り、英葡2ヶ国語をマスターして帰国する。 夫妻ともども桐生の実家で暮らして居たが、3年前に夫君を亡くし現在は一人暮らしで頑張っているようだ。 市内の高校で教える傍ら、彼の有名な小泉町の教委から請われてブラジル人小学生の面倒を見ていたが、現在は体調を慮って専ら自宅から程近い桐生第一高校で英語の受験指導に当っているそうだ。

彼女がフランス人形のように可愛らしい乳飲み子を抱えて夫君の待つブラジルへ発つのを、1960.1.2(土)新しい下宿先 の注欄で触れた鴨下女史と2人で羽田空港で見送ったのは40数年前のことだ。 )

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