1960.4.10(日) 父が上京、親戚に挨拶。
朝から叔父さんの所に出かけたら、和雄さん、昌子さん兄妹も来て、初めて僕たち兄弟と4人が一堂に会することになった。
和雄さんもとうとう銀杏バッジを捨て、社会人としての第一歩を踏み出したわけだ。楽しくて仕方がないといった状態でまったく快活そのもの、見ていて楽しくなるほどだった。
フルートを習い始めたそうで、手にとってしきりに眺め回していたが、お父さんに “ブランデンブルグコンチェルトをモエーズがどうの・・・” と薀蓄を披瀝されて驚いていたようだった。
(注: 普段、私たち兄弟が、錦糸町の叔父のところに寄っては、栄養を補っていたので、お礼と今後もよろしく頼むという意味で、私の入学式に出席するついでに父が上京したときの話である。 和雄さんというのは、義理の叔母の従弟で、私の桐高入学と入れ替わりに一浪して東大に入り、二浪した私とまたまた入れ替わりに東大を卒業した桐高では有名だった秀才、斉藤和雄さんである。 昌子さんというのは、その妹でピアノに長じ、音大に行くかかなり迷った末、津田塾に入った桐女きっての才媛であった。 流石の秀才もこと音楽の話になると父の右に出るわけには行かなかったようだ。 日記にはこのあと浅草に住んでいた母の2番目の妹、治子叔母のところへ挨拶に行った記述がある。治子叔母には、栄養だけでなく経済面でもずいぶん助けてもらった 。)
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