2011年6月6日月曜日

1961.5.9(火) 桐生高校の同期生と再会

今日は、地学の講義で相対性理論について聴いたが実に興味深く、また有益であった。 将来、自分の進むべき方向がだんだんはっきりして来るようであった。
(注: 一寸かじっただけでこうだったから、今考えるといい気なものだった。)

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今日こそはと3時間目の終了する頃合を見計らって正門脇の芝生で待っていると、いつものように同級生の女の子と一緒に笑顔でなにか話しながら来るのが見えた。
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さて、通り過ぎてしまうと、とてもそのまま去るに忍びず、急いで矢内原門へ回り、正門から来る MK さんを何食わぬ顔で迎えることにした。

ところが、矢内原門を出て少し駅の方へ向かった時、後ろから叓子(ことじ)がやって来て話しかけたので・・・彼には悪かったが話題を誘導し、後輩、西原 云々と暗に僕の出身校その他を知ってもらうと言う僕としては最大級の知恵をしぼった訳であるが、果たしてどれだけの効果ないし意味があったろうか。
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(注1) 叓子・・・正確には古の下に又と記す・・・とは桐生高校の同期生でわたしと同じく2浪して文Ⅰに入ったのは知っていたが駒場で行き会ったのはこれが初めてだった。 NH 云々とは、その年の正月に桐生で開いた新人歓迎会に出席していた、多分現役で理Ⅱに入った後輩であるが、その時の話でたまたま彼と MK さんが同じサークルに所属していることを聞いていた。 それでこんな姑息な細工を弄したしだいであるが、"果たしてどれだけの効果"・・・などあったとは到底思えない。

(注2) 叓子とは、その後も何回か会ったような記憶があるが、あまりはっきりとは覚えていない。 法学部へ進学して某大銀行へ入ったことは知っていたから、いずれ仕事を通じてでも会う機会があるだろうと思っていた。 ところが先日、何かの通知(桐高昭和33年卒同窓会の出欠通知だったかもしれない)で彼が亡くなったと言うことを知った。 こうして級友たちが一人、又一人と鬼籍に移っていくのを風の便りに聴くと言うのは、寂しくもあるが同時に人生の最終章を閉じる準備をしておけと言う予告だと思えば心強いことでもある。

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