1961.9.4(月) これが現実・・・まともな東大生の実力を知る。
電車を降りたところで小田に会い、一緒に図書館へ行って荷物を置いて出てくると黒川以下の面々に行き会う。 北寮前から再び図書館へ入り暫く勉強。 12時ごろ教室へ行き話しているうち杉山、小柳、更に暫くして東、奥原、若槻、門野と言った面々も現れ大いに話が沸いた。
東が写真を持ってきたがなかなか良く撮れていた。
杉山に I を見なかったかと聞かれたが、あの様子では未だに梨の礫らしい。
帰りに武藤、黒川3人で東急文化会館5階のスイートコーナーでアンミツを食べ、更にコーヒースタンドで一杯のみ、地下に下って10円ニュースを見てお開きとした。 〆て70円也。 おかげで昼食がふいになってしまった。
ニュースを見ながら武藤に聞いたところによると、赤塚は文一で9番だそうである。 驚いたものだ。
(注: 東が持ってきた写真と言うのは、多分、美ヶ原でのスナップ写真のことだろう。 今日の今日まで誰のカメラで撮ってもらったのか忘れていた。 改めて彼に礼を言わねばなるまい。
昼食を抜かざるを得なかったのは、当時の私にとって70円と言うのは馬鹿にならない金額だったからだ。 なにしろ普段は学食の30円の定食で済ませていたのだから。
赤塚は後に裁判官になったが、我々のクラスには後に大蔵省へ入ったのが2人もいたのだから、我々がやれ合ハイだとか、 I やP がどうしたのとか取り沙汰している間も、しっかりと勉強して文一のトップテンの座を軽々とクリアしていた男が何人も居たはずだ。)
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