1961.8.6(日) 早大ナレオハワイアンズの桐生公演
全く驚くほどの盛況であった。
(9.1 休憩、せめてここまでは 8月中には終えたかったが・・・)
殆どが若い女性であったことからも、集まった目的が何であるかを推察することは容易であったが、いずれにせよ若い人が大勢集まった雰囲気と言うものは良いものである。 そのうえ、小林はもとより石山、船津、あるいはまた篠原、吉川の両嬢とも再会することが出来、これでもしあの雨が降らなかったら言うことはなかった。
しかしそのお蔭で船津には会え、また金子さんのお父さんの車で送っていただけたことを思えば、かえって幸いであったと言うべきか。 関山、星野の couple や例の金子さんの従妹や宮本さんの姿も見えた。
(注: 多分、当時、出来たばかりの桐生文化会館の目玉イべントとして、早大のハワイアンバンドを呼んだ時の顛末である。 当然、桐生出身の早大生総動員の一大行事だった。 肝腎の公演内容について何も記述がないのは、クラシック党のわたしにとって所謂軽音楽は殆ど関心の外だったからである。
正式には、"早稲田大学ハイソサエティオーケストラ" という気障な名前のジャズバンドの公演で、ナレオハワイアンズは、OB の賛助出演だったと思うが、そちらのイメージしか残っていない。
小林と言うのは同じ末広町内の有力者の息子で、桐高3年のときの仮装行列をやったときの仲間であるが、このときは招待側の早大同窓生を代表して花束か何かを贈呈した姿を覚えている。 船津と言うのは桐高入学試験でトップだったと言う噂のある秀才で確か早大の理工学部に入っていたはずだ。 その他の顔ぶれも懐かしい人たちばかりだが、"関山、星野の couple" の意味がよくわからない。 二人とも西中時代に同級だった女性達だから、多分、"仲良し二人組" とでも言うつもりだったのだろう。)
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