1961.7.6(木) 袖振りあうも他生の縁
経済学の時間、少し遅れてきた杉山と一緒になった。そのまま昼まで図書館で一緒に過ごし、昼食後、27番のところで杉山に会い、一緒に覗いてみると・・・・・
3限の野島さんが終わってから杉山と書籍部へいったところが、全く予期しないことが起こった。 Pが居たのである。 杉山と2人で何だかんだと、かれこれ二~三分中に居たと思うが、その間 Pもずっとそこに居たわけで、こんなに長い間、彼女と一緒に居たのはこれが初めてであった。 しかも杉山のお蔭で彼女に僕の名前を知って貰うことが出来たのである。(もし、彼女が期待通り僕に関心を持っているとしたら、あの時の杉山の呼びかけを聞き逃したりはすまい。) 今後の課題は何といっても彼女の名前を知ることである。 それさえ判ればあとは杉山の名簿を見せてもらうなり何なりして・・・・
・・・・・
それにしても、Hが趣味に茶道とは恐れ入ったしだい。 なるほど、インスタントコーヒーなどは文字通りお茶の子さいさいという訳である。
(注1) 27番教室を一緒に覗いたというのは、例によって杉山が、自分一人では気が引けるといってつき合わされたからである。 彼も口で言っていることとは裏腹に、いざとなるとすっかり弱気になるのが恒だった。 関西の超名門校とはいえ、彼の母校も男子校だったので、女子に気軽に話しかけるような日常ではなかったからかも知れない。 しかし、基本的には性格の問題だろう。 私の母校も男子校で女子高生と付き合うこと自体が不良行為と見なされる土地柄だったが、クラブ活動と称して抜け道を見つける連中はうようよ居た。
(注2) 杉山の名簿というのは、彼が適当な口実で教務から手に入れた文2-5Dの名簿のことである。 それにしても、お互いの名前を知り合うだけでこれだけ手間取るということは、今の若い人達には理解しがたい気狂い沙汰に思われるかも知れない。 しかし、きちんと素性のはっきりしたした相手ときちんとした形で知り合いたいという気持ちは、今も昔も変わらないと思っている。 高学歴団塊二世の結婚難の背景にはきっとこういった壁を越えるための社会的仕組みの不在があるに違いない。フェイスブック(facbook)が米国のハーバード大学を中心に拡大の一途を辿りつつある理由の一端もそこにあるような気がする。
0 件のコメント:
コメントを投稿
登録 コメントの投稿 [Atom]
<< ホーム