1961.7.5(水) 駒場バライアティー・・・あれやこれやで一日終わる
山手線で黒川に会う。学校につたのは 9時ごろだった。 210の日本史に出てみたが面白いことも無さそうだったので後ろから抜け出してしまった。
3限の体育が終わってから、黒川、若槻とお茶のみ場脇の水道で手を洗っている時、アーケードから220番の方へ行く H さんが見えた。
4限は杉山と沼野井さんの生物を聴いた。 すぐ後ろの席に平岡さんの 3語に出ていた女の子がいた。見れば見るほど NM さんを思わせるような人だった。
・・・・・
放課後、杉山と書籍部へ行った所、青っぽいワンピースを着た女の子がいて、何となく P に似ているような気がしたので注意してみていたところ、振り返ったのを見ると例の生協の女の子だった。 それにしても実に上品で、聡明かつ清楚な印象を受けた。 今更ながらどうしてこの人が東大生でないのか不思議な気がした。
(注1) H さんというのは、I(インスタントコーヒー)だとか S(元スチュワーデス)だとか取りざたしていた女子学生で、その後、イニシャルが H だと判明した人のことだが、姓名のはっきりした人は "さん" 付けで書くことにしていたらしい。 NM さんというのは駿台で同級生(?)だった人であるが、東大入学後は見かけなかったので、他校へ入ったのかと思っていた人のことである。 果たしてこの人が NM さんだったかどうかは、確信を持てなかった。
(注2) 生協の麗人のことは、前にも6月3日の日記に書いた。 若しかしたらアルバイト学生だったのかも知れない。 とにかくこの人を差し置いて、他の女性(男性も!)が東大生を標榜するのは冒涜だ、と思ったのは私だけだろうか。
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