2011年8月9日火曜日

1961.7.7(金) 東の姉敦子さんの渡欧記念リサイタル

二限から昼休みに掛けて図書館で奮闘し、英語2頁半、独語3頁ほど片付け、さあ来いと授業に臨んだが、どちらも当たらず全く張り合いが無かった。
放課後、堀篭、山口とアンデス文化展を見た。・・・・
・・・
淵上と東横へ・・・
そのまま都電で九段まで行き、ザルの大盛りを平らげた後、リサイタルに出かけた。 東、奥原、門野のトリオが居た。 待っている間に波多野さん(東女)の姿も見えた。
渕上は高校の友人らしい人達と一緒に二階へ行ってしまうし、何か取り残されたようで惨めな気持ちがしたが、東の明るい隔意のない態度だけが救いだった。

皆は最前列の指定席へ行ってしまったので、後のほうで一人で最後まで聴いていたが、どうにも場違いのような気がして仕方なかった。 しかし、リサイタルはともかくそれなりに素晴らしいものであった。 来てよかったと思うと同時に東一家の幸福を祈りたい気持ちだった。

(注1) 東敦子(故人)とは、欧州で大活躍したソプラノ歌手であり、後年、東京音大教授時代に池田理代子が師事したことでも有名であるが、この時はまだ全く無名であった。 しかし芸大大学院の首席として在学中から嘱望されつつあったらしい。 イタリー政府の招待留学生として渡伊することになり、記念リサイタルを九段会館で開催した時のことである。 東は始め高校時代からの友人や都内出身の級友だけ呼んだらしいのだが、どういうわけか直前になって私にも声を掛けてくれた。 多分、駿台以来の同級の誼みと2浪同志の親近感からだろう。 日記には書いてないが江田も後から駆けつけてきたような記憶がある。 勿論、員数あわせなどではない。 立錐の余地もない盛況で、私は最後列の後ろで立ったまま聴いていたような気がする。

(注2) 芸大声楽科(だけではないかも知れないが)のトップがイタリー政府の奨学金を受けて渡欧するということは当時の私にとっては雲の上の出来事でまったく別世界に入り込んだような気持ちだったが、後年、娘の中高時代の親友(二期会所属の石上朋美さん)が、同じコースで渡欧することになり、そのステータスの何たるかを改めて知る事になった。 東には直接関係のないことだが、私としては不思議な縁を感じている。 あらためて 50年前の彼の好意に感謝したい。


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