1961.11.15(水) 西荻の繋ぐ縁
620番に席を取ってからお茶でも飲もうと思って出てくると、900番から出てきた武藤と一緒になった。 試験事務所脇(先日、成績表交付の日と殆ど同じ所に)P が立っていたが、我々を見ると(と言っては、少し主観的過ぎるかも知れないが)くるりと踝を返して弥生通りを北寮の北へ駆けるようにして行ってしまった。
アーケードの時間表の所で話しているうち、ふと気が付いて前を見ると、H が(らしいと言った方が正確かも知れない)ネッカチーフを被って時間表を見ていたのには驚いた。 髪がずっと短くなった上、服装が大分変わっていたので、目近に見ながらなかなか identify できなかった。・・・・・ 昼休みに杉山に会い、その話をしたらしきりに気にして・・・・・・しまいには "実地検証" に及ぶ始末だった。、
五時ごろまで図書館で勉強し、寮食で食事を済ませてから金子さんの所へ行ってみると学校の友達が一人来ていて一寸気が引けたが、折角やって来たのだしと、少々図々しくお邪魔させていただくことにした。 8時頃までフランス語の相談に乗って貰い、その友達と一緒に退出した。 西荻窪の人で、小学校では、井上さんの所の明子さんと同級だったそうである。 まったく奇縁と言うしかない。
(注: 前半は相変わらず P や H の消息が続くが、とくにこの頃になると H の髪型や服装が日によってガラリと変わることがあり、時々見間違えることが多かった。
後半は、桐生市立西中学校時代の同級生で、東京での学生時代を通じても、気の置けない友人として時々会っていた金子安江さんの下宿先を訪ねたときの経緯である。
このブログにも既に何度か登場しているので 詳しい説明は割愛するが、このとき会った友達が "1960.5.11(水)中学時代の級友" で紹介した鴨下さん、また鴨下さんの小学校時代の同級生と言うのは、"1960.1.2(土) 新しい下宿先" で紹介した井上喜一郎ご夫妻の2番目の娘さんである。
今日の今日まで道子さんだったとばかり思っていたが、日記には、はっきり明子さんと書いてあった。 謹んで訂正させていただきます。)
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