2012年3月24日土曜日

1962.1.30(火) ・・たら、・・れば、を考えるのは不毛か?

体育に出る気にもなれず、高橋、大村とホールのストーブを囲んで経済政策の問題について話をした。 昼休みになったので引きあげ、二人と別れ、3号館の空いた教室でボンヤリ過ごした。
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大村が協組のサービス券で本を買うと言うので、後から行ってみると、Wis. の所でしきりに数えているところだった。 彼女の態度は全く感じが良いの一語に尽きた。 彼女の境遇がそうさせたのか知らないが、あんな控えめな優しい感じの人を僕はほかに知らない。 現在の僕は、P のことで頭が一杯で殆んど彼女のことを考えることもないが、駒場を去って何年か後、懐かしく思い出すのは、むしろ Pよりも彼女かも知れない。
P に惹かれるようになったのも、要するに、あの柏の木の下での事と、30番教室での事があったからであり、それまでは単に綺麗な女の子が居るなという位の気持ちしかなかった・・・
恐らく・・・、もし彼女と最初に知り合っていたら、恐らく僕は MK さんや P に心を動かしはしなかったろう。
初めて学校へ来て教科書を買った時から、何と清楚な人だろうと思っていた。 しかし、あの頃はMKさんのことで頭が一杯だった。 そして、それから P、・・・遂に Wistaria のことは意識の上には上っても心を左右するまでに到らなかった。 彼女は、この一年間、ずっとプレイガイドに居たが、僕は殆んどそこへ行くことが無かった。 用もなかったし、勇気もなかった。
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もし、P との間にあったようなチャンスが有ったら・・・・

(注: 駒場を去る日が近づくと共に、憧れていた女性達への思いが募っていたのは確かだ。 もし、P との間にあったようなチャンスが有ったとしても、私が何か決定的な行動を起こしたとは思えない。 それが、所詮は "一期一会の夢" という諦念に囚われていた私の限界だったろう。 しかし、それらの夢が全て不毛の夢だったとは今でも思っていない。 これ等の夢は、私にとって決して幻ではなく、人生の一時期における現実だった。
"駒場を去って何年か後、懐かしく思い出すのは、むしろ Pよりも彼女かも知れない" と書いているが、50年後の今日、その気持ちに変わりはない。)

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