2012年2月20日月曜日

1962.1.3(水) 恩師宅へ年始の挨拶に・・・

1時20分頃、清水先生のお宅へ伺ったところ、金子さんも来ていたが、先生は、あいにく前橋の方へ年始回りに出かけていてお留守とのこと、そのまま挨拶だけして引揚げ、岡公園で暫く話をしてから、北小裏まで下りて別れた。 六日の午後、広澤回りのバスで上京する約束をしたが、金子さんと一緒に上京するのはこれが始めてである。

(注: 毎年、正月に帰省した折には、桐生市立西中学校3年4組の担任だった清水先生のお宅へ年始の挨拶に伺うのが恒例になっていた。 そこで金子さんと鉢合わせしたと言うわけである。
その頃、先生は、前橋の群馬大学付属中学校に赴任しておられ、毎朝、暗いうちに家を出るのが大変だったらしい。

"岡公園" と言うのは、先生や金子さんの家から一足のところにあり、岡全体が公園になっていて、子供の頃から、それが正式な名称だとばかり思っていたが、インターネットで検索すると、"桐生が岡公園" となっている。 子供の頃から聞いた覚えがないので、元々そうだったのか今でも疑っている。 北小とは北小学校のことで、金子さんの母校である。 北中というのが有ったのか無かったのか、有ったとしても、なぜ彼女が西中に来たのかもよく覚えていない。 因みに、戦後、坂口安吾が下宿していたことで有名な "書上家" の広大な屋敷もこの一角にあった。

東京行きのバスには、渡良瀬川の左岸沿いに足利まで行き、渡良瀬橋を渡って熊谷へ抜ける足利回りと、市内の昭和橋を渡って右岸の広澤へ抜け、太田経由で熊谷に到る広澤回りの2つのコースがあった。 太田経由では、左側の長いコンクリート塀の向こう側に、旧中島飛行機工場の巨大な廃屋が見えたが、コンクリートの壁には、いたるところに機銃掃射によって貫通された穴が開いていた。)

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