2012年2月18日土曜日

1962.1.1(月) 桐生で東大新人歓迎会

10分ばかり遅れて行くと、もう 6~7人来ていた。 近藤、寺田(尚)、叓子(ことじ)らの顔も見えた。 紅一点は、勿論、佐藤であろうが、非常に大人に見えた。 結局、集まったのは11人で、初めての顔は、大出、周藤、韓、岡、佐藤、宇野、福田の7人だった。・・・
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帰りに、大出、福田を除く 9人で "天狗" の2階に乗り込み、お定まりの恋愛論などしたが、韓と言う男は意外にくだけた面白い男で、特に理一の女の子の身元調べの話などは、全く傑作だった。
岡君(あまりに真面目なので、呼び捨てにするには忍びない)は、小・中・高校ともに僕と同じで、・・・驚くほどMKさんに似ていた。ワンゲルに入っているとのことで、大竹を良く知っていた。
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(注: 桐生で前年4月に東大に入学した新入生の歓迎会をやった時の様子である。 以下、延々と愉快な飲み会の話が続くが、限がないので割愛する。 大出、福田の両氏は既に卒業していた先輩であるが、後は皆、私と同級か後輩ばかりだった。
岡(友宏?)君は市内の内科医の息子で、小中高校を通して私の後輩だったそうだが、3学年下だったのでずっとすれ違いだったらしい。現役で理2に入り、医学部を目指していたが、私が本郷へ行ってから家庭教師として教えた学習院高校一の秀才、鹿園直建君のような学究タイプの好青年だった。

"天狗" というのは、私の家から100メートル位の所にあった飲食店の屋号である。
50年前には毎年、桐生から何人か東大に入っていたので、一月一日に新人歓迎会をやっていたが、今はどうなっているか知らない。

ところで、全国、何処でも、どの会社でもそうだが、早大の稲門会、慶大の三田会、一ツ橋大の如水会等は有っても、東大の公式な同窓会は無いか、仮に有ったとしても、全員が入っているとは限らない。 それに代わるものとして旧帝国大学の合同同窓会として学士会があるが、これは、帝国大学卒業生だけに学士号が与えられた時代の名残である。

因みに私の卒業証書に載っている大河内総長の署名の肩書きは、一応 "経済学博士" となっているが、その前に "学士" と大書されている。 博士号は一家を成した大学者に与えられるものであり、学歴としての博士号など殆ど無視されていた時代である。

とくに文系では、学年トップクラスの大秀才は、卒業と同時に助手に採用されてしまうので、そのまま教授⇒学部長まで行ってしまう人さえ居た。 私が、55歳で長年勤めた富士通から東京農大系の東京情報大学に転職する際、修士号すらないのに教授として採用されたのもその七光りのお蔭である。)

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