2012年2月17日金曜日

1961.12.18(月) 公私ともにすれ違い続きの一日

九時ごろ登校した。 二、三度27番を覗いてみたが誰も居ないので、てっきり休講と思い、900番前で国際法の終わるのを待っていた。 ところが、後で高橋に聞いたところ、ちゃんと授業をやったそうだった。全く付いていなかったと言うほかない。
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3限の始まる直前、高橋から聞いたとおり、英語研究室へ教科書を取りに行こうとして、図書館の北側を回っていくと、北寮の方から来る彼女に気がついた。 そのまま研究室へ駆け込み二階の窓から見ると、丁度すぐ前に彼女が立っているのが見えた。 永川先生は留守だったので戻ってくると、驚いたことに玄関の所に彼女がこちらを向いて立っていた。 全く足がすくんでしまうような驚きだった。
今にして思えば、あれが彼女としては精一杯の意思表示だったのだろう。
しかし、僕にはどうすることも出来なかった。 勇気がなかったと言うより確信が持てなかったのだ。 唯、彼女がそこに居たというだけでは、とても彼女に声をかける気持ちにはなれなかった。
若し彼のことが無かったら僕も決心したかも知れない。 しかし、ことによったら彼も第一研究室に用があって来ていたかも知れないのだ。 もしそうだとしたら・・・・・
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学生センターでは、祈祷、食事、余興と何れも仲々楽しかった。しかし、我々の歌は、どうもお世辞にも良かったとは言えず残念だった。 来年はもう少しましな事をやりたいものだ。 9時頃プレゼント(シャープペンシル)を頂き、遅いのでキャンプファイアーには参加しないで引揚げた。

(注: 9時頃登校したのは、土曜日のことが頭にあったのかもかも知れないが、日記には登校が早すぎて教室に誰も居なかったことしか書いてない。

研究室の入り口に立っていたのは Pである。日記には、"唯、そこに居ただけ" としか書いてないが、実際は、今にも話しかけて来そうな表情だった・・・ あれは私の思いすごしだったのだろうか。

市ヶ谷の学生センターでは、予定通り、独語会話教室のクリスマスパーティーが行われ、いかにも楽しかったように書いてあるが、催し物の出来は惨憺たるもので楽しさ半分、恥ずかしさ半分と言ったところだった。)

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