1961.12.24(日) 初めてのプロポーザル???
昨日一日中かかって手紙を書いたが、今日はその清書でまた半日かかってしまった。 結局、3時頃速達で出して来たが、今になってみると全く空恐ろしい気持ちがする。 休みが終わって学校へ出て行くときの事を考えるとぞっとする。
恐らく、始めから問題にされず簡単に拒絶されるに違いない。 そうなると今までのように校内をのうのうと歩き回っては居られなくなる。 とにかくこれまでとは完全に逆になるわけで、今度は何よりもまず、彼女に会わないことを心がけねばならず、結局、教室に閉じこもって勉強せざるを得なくなるから、その意味では無駄ではなかったと言うことになろう。しかし、そのときの屈辱(と言うより恥ずかしさ)は、一生忘れられないだろう。
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ともかく現在の僕にとっては、どうしてもそれが必要であったのだから、よくその打撃にたえ、所期の目的を達成するよう努力することが肝要である。
(注: 後年、コンピュータ会社のいわゆる SE になってからは、プロポーザルを書くのが日常茶飯事となったが、この時ほど結果に恐れ慄いたことはない。 それが証拠に、後半は、Reject された時の言い訳と対策ばかり延々と続き、少しも夢が語られていない。 富士通時代、上司に、"プロポーザルは手堅いだけでなく夢が無くては駄目だ" と言われたことを思い出す。
因みに所期の目的とは何だったかと言えば、「因果必然の科学的モデル化(Scientific Modelling of "ZEN" Concepts)」という雲をつかむような途方もない話だったのだから、それに比べれば、ノーベル賞を受賞したり、大会社の社長や首相になること、まして "人ひとり得るに過ぎざること" などに感けているわけには行かないという強迫観念に絶えず苛まれていたのも無理はないと思っている。)
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