2012年2月21日火曜日

1962.1.6(土) バスで上京・・・お互いの距離に途惑う。

一昨日の約束どおり、四時までに横町のB.S.へ行く。 バスを待つ間に小山先生にお会いし、そのうち金子さんも来たので、3人でバスが来るまで話し合った。 金子さんのお母さんと小山先生は、女学校時代、同級だったそうである。

バスの中で、東京駅までの約4時間の間、久し振りにざっくばらんな話をしたが、例の受験生は聞けば聞くほど僕に良く似ているのでおどろいた。 驚いたと言えば〇〇さんの根気の良さにも驚いた。 全く蛇のようなとは、あれを言うのだろう。・・・・・

電車の中で、"関口さんは、私とは次元の違う世界に住んでいるんだわ。 本当に良い人なのね。 もっと悪い人だったら私もはっきりできるんだけど・・・・・ 私は悪い女なの・・・" というような不可解なことを言われたが、いったい何を言おうとしているのか、僕には皆目見当がつかなかった。

(注: 横町・・よこまち・・のバス停は、金子さんの家の有る横山町から本町通りへの出口に在り、清水先生の家からはさらに近かった。 そこで待っていたら、西中時代に数学?を担当されていた小山静江先生が通りかかったと言う次第である。

例の受験生とか、〇〇さんとかいうのは、金子さんを通して知り合った早大がらみのユニークな男子学生達のことで微かに記憶が残っている。

国電の車中で彼女が呟いた言葉は、一般的にはプライバシーに属する事柄かも知れないが、彼女に無断で公開することにしたのは、それが私たち2人に固有の関係と言うより、同年代の男女が置かれた立場の相違から来る、一般的な意識のギャップではないかと思ったからである。

勿論、色々な解釈がありうるが、私自身はこう考えている。
例えば、女性は、基本的に限られた時間の中で、結婚、出産というような極めて現実的な結論を出さなければならないが、男性は、自発的か非自発的かは別として、非現実的な目標を追い続けることが出来る。 私の例で言えば、中学・高校時代からの目標は、"1961.12.24(日)初めてのプロポーザル???" の(注)で触れたように
因果必然の科学的モデル化(Scientific Modelling of "ZEN" Concepts) という雲をつかむような途方もない話だったのだから、金子さんに限らず、男女を問わず同級生の誰もが、違和感のようなものを感じていたし、私自身、一種の疎外感に苛まれていた。 そんな妄想のような使命感に囚われている青年に、危惧の念を抱かない方がおかしかったろう。    

それにしても、実際のところ、未だに不可解だというのが正直な気持ちである。

若しかしたら、それは、漱石の 「三四郎」 で、美禰子が三四郎に対して呟いたという言葉・・・「我はわが愆を知る。わが罪は常にわが前にあり」 と同じような意味を持っていたのではとも思うが、「三四郎」 の文中でも、その真意は謎として残されたままである。)

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