1962.1.19(金)・・・うれしい人達"とは能天気ということ??
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4限の政治史をサボって駅に行った所、杉山に呼び止められた。 彼は彼で、昼休みに北寮前に居たのが H さんだったような気がしたので、もしやと思ってあちこちうろついていたのだと言う。 一度図書館を確かめてみたいと言うので、同意して戻ってみたが居るはずもない。 一緒に渋谷まで話をしたが、Hさんの言によれば、クラスの連中が皆うれしい人たち(?)ばかりなので、あまり授業には出ないと言う。
・・・・また、〇〇には、お母さん、姉さんと一緒にいるそうだが、皆、彼女が在学中に恋愛問題を起こしたりするのを好まないと言う。 蓋し、当然のことであろう。
考えてみれば、僕もとんでもないことをしたものだ。 実際、〇〇さんのご両親がどう思っておられるかと思うと、身のすくむ思いがする。よせば良かったの一語に尽きる。
(注: 彼は彼で・・と書いたのは、私が P に会わないように逃げ回っているのも、彼が H さんを探し回っているのも、立場は逆だが、両方とも相手にとっては、招かれざる客だと言う意味で五十歩百歩だと思ったからである。 いずれにせよ、依然として所謂良家の子女にとって、家族の意向を顧慮しない異性との交際など、考えられなかった時代が続いていたと言えよう。 しかし、"うれしい人たち" の一言のなかに、 H さんの覚めた視線を感じて、とても他人事とは思えなかった。
私達にとって、マドンナでしかなかった彼女達にとって、人生の選択は、待ったなしの現実として否応無く迫ってきていたのであり、それは、H さんばかりでなく、P やWistaria にとっても同じだったはずだ。 それは、"三四郎" の中で、美禰子が呟いた "stray sheep" と本質的に同じものだったのだろう。)
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