2012年11月15日木曜日

1962.5.20(日) 浅草で父を見送る。

暫く中断(2012.11.15)・・・日記帳の文字を読むのが億劫になった。

再開(2013.5.23)・・・51年前の日記になってしまった!

2時頃、代々木へ行ってみたが留守。(叔父さんの所に寄ってから、治さんの方へ回ったのだそうである。)
一人で学校へ行き、文指の展示を見、プリントを1部貰って浅草へ回った。案の定、兄が来ていた。帰りに2人で松屋へ行き、お父さんを見送ってきた。
小森さんは上機嫌でカウボーイ時代2度も死に損なった話などをしたそうである。アメリカ文化センターの人も太鼓判を押してくれたそうであり、まずはめでたしというところ。出版社探しも引き続きお願いすることになったそうである。

(注: 当時、飯田橋の日本歯科大学へ通っていた兄の下宿先が代々木だったので、時々寄っていた。この時は、遺稿となった「バイオリン奇譚」の翻訳者探しに上京していた父が、然るべき人に出会えたというので、浅草に店を持っていた母の2番目の妹、治子叔母の所で兄と落ち合い、一緒に浅草駅まで見送ったらしい。この日記を付け始めてから3年余りになるが、その間、小森さんという翻訳者とどんな経緯で出会ったのかすっかり忘れていた。未だに、ここに書いてある以上のことは思い出せないが、この分では、もっと詳しい経緯が後の方で出てくるかも知れない。
叔父さんとは、父の弟で、ラバウルから引揚げた後、錦糸町と押上を結ぶ大通りの押上寄りのところに住んでいた武叔父のことである。当時の押上駅周辺の様子から、スカイ・ツリーで様変わりした今日の雰囲気は想像も付かない!
文指の展示とは何のことやらさっぱり見当がつかない。日付から見て五月祭の催し物だったかも知れない。)

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