2012年6月15日金曜日

1962.5.6(日) 本郷での勉強にも身が入らない・・・

昨夜は、吉沢のところで、大いに議論を交わし、愉快だった。 吉沢の家は、意外に綺麗だったので一寸羨ましかった。
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宝くじは、遂に外れてしまった。
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Azalea,  君は今何を考え、何をしているのだろうか。 この同じ空の下のどこかに君が居て、今この瞬間にも何か考えているのだと言うことが不思議でならない。

(注: サブゼミはともかくスタートしたらしい。 しかし、いつまで続いたのか、さっぱり記憶がない。 吉沢の家は、西荻から吉祥寺に向かう線路沿いにあったので、以前から外から見たことはあったが、上がりこんだのはこれが初めてだった。 "綺麗云々" は、桐生時代から友人の家へ行くたびに感じていたことで、今に始まったことではない。 明治40年ごろ建てた築60年近い木造の我が家に比べれば、マッチ箱のような当時の公営住宅のほうがよっぽど綺麗で羨ましかった。 ましてや、当時のサラリーマンの夢であった中央線沿線の一戸建てが羨ましくないはずが無かった。

宝くじの付きも尽きたらしい。

Azalea に対する想いは、直接、姿を見る機会が無くなっただけ、空想の世界で歯止めがかからなくなった気味がある。 そもそも、柄にもなく文科一類などに入ったのが間違いの元で、心から没頭できる教科が無かったため、空想の世界で憂さばらしをするしかなかったのだろう。

そのことは、後年、富士通の新入社員として、山本卓眞課長の下で、銀行オンラインシステムのアプリケーションプログラムの開発に没頭した時の心理状態を思い起こすたびに痛感する。 没頭とは、例えば、数百行のマシンコードの1ビットに到るまで脳裏に焼きついて離れず、徹夜明けで帰宅した同僚と、何も見ずに電話で相談できたと言うことだ。 )

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