1962.4.21(土) 学習院高等部一番の秀才
岡さんの講義が終わったところで、大竹、杉山に会い、3人で一緒に2食で昼食を摂った。 バス停の前で、3人で話しているとき、MKさんとOHさんがそばを通って行った。 吉祥寺へ行かなければならないので、先に一人でバスに乗ったが、発車間際まで2人はそこで話していた。
吉祥寺に着いたのが1時40分頃、15分ほどあちこち歩いた末、交番で聞き、結局5~6分遅刻してしまった。 鹿園さんのお宅は、丁度、田村さんの所のような高台の非常に気持ちの良い家だった。 奥さんも非常に上品で理解のある方なら、息子さんの方も実に素直で真面目な少年だった。
とり敢えず打ち合わせをしてから、少し独語を教え、英語は2頁ばかり読ませて、大体、相手の学力を見るだけにした。
お母さんは 「一番といっても学習院ですから」 などと非常に謙遜しておられたが、どうしてなかなか優秀な生徒で、僕としても遣り甲斐のある仕事を得られ、まず、文句なしというところである。
これで今度は2千円くらい奨学金が取れれば言うことはないのだが、若し駄目ならもう一口くらいアルバイトをしなければならないことになるから、そうなると一寸負担である。
(注: MKさんとOHさんは、これまで何度もふれたように、駿台以来の顔なじみの女子学生であり、駒場時代のように会う度にドッキリするようなことは、なくなっていたが本郷時代を通じて依然として無視できない存在だった。
鹿園さんの家を訪ねたのは、これがはじめてである。本郷のアルバイト紹介窓口で薦められたのがきっかけであったが、本当に素晴らしいご家庭だった。 お名前が優雅なのでもしやと思って伺ったところ、案の定、元華族の家柄で、お母さんは元東大教授の伯爵令嬢、お父さんは温厚な学者肌の方で、元堂上華族の身分だったそうである。 世が世なら私ごときが大きな顔をして出入りするのも憚られるようなご身分だった筈だが、少しも尊大なところは無く、気持ちよくもてなして下さった。)
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