1962.4.5(木) 駒場で最後に会った少女・・・あれは幻か!
一時半頃、妹の所へ行き、持参した昼食のパンを食べてから一度下宿に戻り、"行列と行列式" を持って出かけた。 ぶらぶらと恵比寿まで歩き、国電で新宿へ出てから思い切って若松町まで歩いてみたが、やはり留守だったので住所を書いた紙を投げ入れて引揚げた。
(注: なぜ下目黒に転居したのか思い出した。 目黒不動に近い妹の下宿先まで歩いていけるところにした方がよいとの両親の意向に添ったのだった。 若松町まで行ったのは金子さんに新住所を教えるためだが、同時に歩いてどのくらいかかるか試してみたかったからだ。)
帰りに学校へ行ってみたが、やはり何も無かった。
しかし、帰りがけに矢内原公園のところで、以前、日曜日などに良く会った女の子に行き会った。 あの子は僕を慕っているらしい。 去りにくそうに何度も立ち止まって僕の方を振り返って見ていた。 僕も思わず何か声をかけてやりたい衝動に駆られたが、どうしても声が出なかった。・・・・・・
どうして、せめて、"さよなら" 一言だけでも言ってやらなかったのか、どんなに喜んだのかしれなかったのに。
(注: 駒場時代の日記の最後に登場するのが、この12~3歳くらいの少女である。 そういえば、2年前、西荻で田村家から井上家に移った頃、やはり、今日と同じように当ても無く散歩していた時、上井草のグラウンド近くで犬を連れた少女に出会ったことを思い出す。
2月7日(日)
上井草のグラウンド近くを歩いていたら前掛けをして犬を連れた女の子に会った。
12~3歳くらいだったろうか。
2度と会うことはあるまい。他所ながら幸せを祈ろう。
19才の夏、赤城篭りで出遭ったのも同じ年頃の少女達だった。 そして私が10年後に結婚する事になる現在の妻もこの子達と同じ世代、いわゆる団塊の世代の一人だった。)
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