1962.3.24(土) 駒場の総決算・・・成績表
上京、巣鴨でバスを降り、山手で渋谷へ直行。 学校着、2時半頃、成績表を受け取って引揚げた。
教務のところで MK さん(友達と2人だった)に会う。
バスで上京の途時、浦和県庁の少し手前で、左側の町名表示板を見たら、何と仲町3丁目とあるではないか。 一体どうして今まで気がつかなかったのかと、我ながら迂闊さに腹が立った・・・・・。
(注: まさに2年間の総決算だった筈だが、まったく事務的な記述に終わっている。 その位、駒場、いや東大での成績に関心が無かったというか、熱意が無かったということだろう。 MKさんのことは常に意識はしていた筈だが、何も感じていないかのごとくである。
"浦和県庁前" は、帰桐や上京の折、いつも利用していた東武急行バスの停留所があったところである。 電柱の町名表示板を見て驚いたのは、私が教務課の履修者名簿からピックアップしていた何人かの女子学生のうちに、誰かは特定できないがそこから通っている人がいたからである。 元旦に桐生で開いた新人歓迎会で後輩の韓君から聞いた "身元調べ" の話を思い出して、彼らの行動力に感心すると同時に、自分の優柔不断振りを痛感させられた。)
1 件のコメント:
浦和県庁裏に住んでいたのは、例の元日航スチュワーデスだったという藤井槙子さんだったということが分かったのはずっと後のことだった。
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