2012年3月31日土曜日

1962.2.20(火) 遠縁の秀才・・・駿台の公開模試で18番!

今日の独語(杉山)もまた、仲々好調だった。全く言うことなしといった所だ。

10時半頃、小西と都電で神田へ出かけたが、目的の本が見つからないので、そのまま(彼は Geothe の Faust を買ったが)引揚げた。 途中、御茶ノ水駅の前で炒飯を奢って貰ってしまった。 まあ、暫くは借りておくことにした。
駿台を覗いたところ、荻野多平(熊谷高)とあったが、恐らくお祖母さんの話していた人だろう。 公開模試で18番とは大したものである。 帰ったら早速皆に話そう。 序にアテネ・フランセも覗いて来た。

学校へ戻ってからまず生協へ行き、松田さんが編した西洋経済史の本があったので、二人ともそれを買った。 Wistaria の感じの好さは一寸類がない。 一週間後にはもう恐らく永久に別れてしまうのかと思うと一抹の寂しさを禁じえなかった。・・・

(注: 独語に限らず、好きでやっていた科目は、殆んど優だったが、それ以外、経済・法学関係はあまりパッとしなかった。 この傾向は本郷へ進学してから一層募り、翌年の秋には忍耐の限界に達し、父当てに大学院進学を止めたいという長文の封書を出して決着することとなる。 私は今でも意に染まぬ分野を受験などすべきではないと思っている。

駿台を覗いたのは、この前帰郷した折、祖母から親戚の荻野多平という子が、優秀で東大を目指して居ると聞いていたからである。 後年、東京情報大学に転職してから、富士通研究所出身の S教授の東大伝熱工学研究室の在籍者名簿 の S教授の名の隣にその名を発見した時は、まさかと思った。
また、アテネ・フランセを覗いたのは、桐生西中の級友で早大文学部に在学していた金子安江さんが通っていたからである。

Wistaria ・・・生協の麗人・・・に対する思慕は、募る一方だったが、駒場の思い出と共に封印するしかなかった。)

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