2012年3月26日月曜日

1962.2.5(月) 私はたかが期末試験、兄は国家試験の正念場

2限終了後、高橋、木村、大村の3人と渋谷へ出、喫茶店の奥に陣取り、"Gewissen" を15頁まで片付けた。 12時半から4時半までかかったが、割りにはかどった方だと言えよう。・・・・
・・・・
帰ると、兄が来ていた。 学士試験は15日から、国家試験は28日からだそうである。
馬場君の兄さん(北大の講師との事)は、東大在学中、全学連の委員長だったそうである。
(疲れた・・・休憩 3.26 18:00)
(再開・・・3.28 19:00)
全く思いがけないことだ。 それが高校時代には右翼だったと言うのだから、まことに傑作と言うほかない。 馬場君は、今荻窪(南口)に下宿しており、時々寄るからその序でに遊びに来るとの事だった。

(注: 此処の記述はどうも良くわからない。 一字一句確かめてみたが、写し違えではない。 兄が日本歯科大学での親友を私の下宿先につれて来たことがあることは覚えているが、それなら私より 2歳年上のはずだから馬場さんと言ったはずだ。 駒場の級友に馬場君というのが居たから、或いは、彼のことだったかも知れないが、それがどういう話の成り行きで、そのときの話題になったのか皆目見当がつかない。 一つ考えられるのは、そのとき兄と一緒に来た友人と私の級友の馬場君が親戚同士だったと言うことだが・・・ 機会があったら兄に聞いてみよう。

ところで、全学連の闘士が、高校時代に右翼だったからといって別に驚くには当らない。 安保闘争にしたところで、一部の共産主義者は別として、大半の青年達は、イデオロギーではなく正義感とナショナリズムで参加していたのだから。 序でに言えば、世界中の学生運動はすべてそうだと言っても差し支えないだろう。 当時、米国のダレス元国務長官が、安保闘争を評して、"自分も学生時代に反政府デモに参加したことがある。 そんなに心配することは無い。" とコメントしていたのを思い出す。

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