1962.2.10(土) 方や雑談、方やお説教・・・
10時半頃学校へ着き、図書館へ行ってみると、席がないので喫煙室で少し勉強した。・・・・・
・・・暫くして外に出たところ、小西と木村が後から追ってきた。 昨日の如く芝生のところで話をした。 非常に熱の入った論戦になったが、結局、agree to differ に終わった。
木村と柳の下に泥鰌は居るか居ないかなどと言っているところへ、案に違わず〇〇さんを含む3人ばかりの女の子が側に来たのには全く驚いた。 しかし、何も気がつかぬ小西が、もう行こうかと言い出したので、木村には気の毒だったが、そのままお終いになってしまった。
小西と29番で4時頃まで勉強し、喫煙室で30分ばかり話をしてから渋谷へ出、・・・・ "まな" でコーヒーを飲みながら1時間ばかり話して別れた。
今日は、すっかり彼にお説教された形だった。 ともかく彼の誇りの高さと向学心は買わねばならない。 僕もこうなっては意地でも負けて入られないことになる。 気の緩みを戒めてくれるよき友人として、仮に多少、不愉快な所が有ったとしても大切にせねばなるまい。
(注: 理論経済学一途の小西が、木村と私が "柳の下の泥鰌" 談義で、〇〇さん達のことを言っていたことに気付いていなかったとは言えない。 さもなければ、渋谷の "まな" でお説教されたはずがない。 大病をしたという彼から見ると、光陰矢のごとしという格言が絵空事ではなく、女の子の話などしている時間の無駄は見ていられなかったのだろう。
私が理屈としてはそうだと思っても、彼のペースに付いていけなかったのは、私の負っていた強迫観念が "何々学" などという確立された分野で業績を挙げることでもなければ、社会的に "出世" することでもなく、周囲に受け入れられる筈のない 暗中模索の課題(Scientific Modelling of Zen Concepts) だったからだ。・・・)
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