2012年4月1日日曜日

1962.2.24(土) 忘れえぬ人々③・・駒場生協の麗人

9時半ごろ登校。 図書館で勉強したが、どうも体が重くてあまり、捗らなかった。 教務で小六法を買った。 情けないことに、Wistaria に向かった途端に喉が詰まったように声が出なくなってしまった。 黙って本を出し、代金を払って、包んでくれたのを受け取って逃げ出したところなどは、我ながら思い出しても身の竦むような醜態だった。
教務で〇〇さんに会った。
4時半ごろ、図書館を出、寮食で夕飯を片付け、下校した。

渋谷駅で Wistaria を待ってみたが、現れそうもないので10分ばかりで諦め、引揚げた。

Le miserable !

(注: 唯、待つ一方の消極的人生観は、小学校の通信簿に書かれて以来、60年後の今も全く変わらない。 縁が有り、機が熟せば物事は自ずと成就する。 逆もまた真なりというのが私の信念である。)

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