2012年3月31日土曜日

1962.2.23(金) 忘れえぬ人々②・・文科一類六組の級友達 そして・・・

9時に、荻窪駅の中央階段のところで黒川に会い、約束どおり答案を渡した。 高橋にも頼まれたとのことで、彼に学校で渡す事になっているのであろう。 4時20分に東大前で返すとの事だった。

そのまま東西に別れ、学校へ言っては見たものの、全く本を読む気になれない。 彼女に会えないということがこれほど寂しいものだとは思いもよらなかった。会わないで居ればきっと忘れてしまうだろうと思ったのだが、こうして彼女のいない学校に来てみると、全てが昨日までとはすっかり変わってしまったような味気なさを感じた。・・・・・
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北寮売店でパンを食べてから、本館の方へ行く途中、学生部掲示板のところに H さんを見た。 そのまま図書館へ行き、10分ほどして教務へ行ったところ、中に彼女の姿も見えた。 窓際で本をカバンにしまってから中に入ろうと思って振り向くと、彼女がドアを背にしてこちらを向いて立っていた。 こんなに真近に、そして真正面から彼女を見たのは、夏休み以来、初めてだったが、・・・ 顔つきはあの頃と別に変わっては居なかった。 ・・・・・
この間、駅で見たときはひどく蒼褪めた感じだったが、今日はすっかり以前の明るさを取り戻していた。 ただ何だか非常に可憐な、殆んど痛々しいほど華奢な印象を受けた。 春の頃には決してなかったことである。 勿論、僕にはその方がずっと好ましかったが・・・・・ ともかく僕には何の関係もないことだ。
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自分にとって好ましい女性は世の中に殆んど無数に居るだろう。 そういう女性が何人か僕の前に現れた場合、そのうちの誰に最も惹かれるかと言えば、それは、最も頻繁に接触する人であろうし、また最も自分を慕ってくれる(それが錯覚であったにせよ)人にであろう。
MK さん然り、Azalea 然り、Wistalia 然り、そして若しかしたらH さんもそうだったかも知れない。

(注: 50年前の片思いのあれこれを語るのは気恥ずかしくもあり、はた迷惑な所業だと言う認識がないわけではないが、友人達が次々と他界するのを見ているうちに、当時のありのままの心の軌跡を書き残すことに後ろめたさを感じなくなってきた。 本当はもっとはっきり書きたいところだが、私と違って未だに現役の者も多く、特に女性の多くは専業主婦として終生現役で、私の死後も世間との係わりの中で生きている方が大半だろうと思うので、全て当事者以外には、個人名を特定できないよう配慮している心算である。)

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