1962.3.8(木) 幾年(いくとせ)ふるさと来てみれば・・・
ロマンスカーの切符を買いに行ったついでに、如来堂から赤岩へ抜け、大間々~高津戸を経て帰る途中、西堤の切通しを過ぎたところで擦れ違った車を運転していたのは、どうも斉藤マツ枝さんらしかった。 和服を着ていた。
(注: 学生時代、帰桐の折、6歳のとき祖父母と3人で疎開していた高津戸峡まで自転車をを走らせたことがあった。 翌日の上京のため東武赤城線の急行切符を買いに行った時のことらしい。
疎開先の家は、農家には珍しく瓦葺で子供の目には随分大きく見えたが、行って見るとあまりにみすぼらしく、瓦屋根も崩れ落ちかけていたので、胸を衝かれる思いがしたことを思い出す。
・・・ 幾年(いくとせ)ふるさと来てみれば ・・・
帰りに擦れ違った車を運転していたのは、西堤の切通しの手前の高台に豪邸を構えていた初代コロンビアローズの斉藤マツ江さんだったと思う。 当時の桐生で乗用車を自分で運転するような女性は殆んどいなかったし、まして和服でとなれば尚更のことだった。
前方に西堤の切通しを望む
彼女が桐生市役所の一職員だった頃、閉院後の我が家の玄関先で父が弾くバイオリンに聞き入っていたことは、ホームページにも書いた。 そういえば、たしか彼女の実家は床屋さんだったが、級友の金子安江さんから遠縁に当ると聞いたことがある。)
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