1962.5.22(火) 片思いにもいろいろある!
バスで奥原と一緒になった。木村さんは今日も休講。3限の政治外交史はサボって駒場へ行き、図書館で少し勉強してきた。知っている顔は一人も見えなかった。書籍部へ入ってみようかと思ったが、遂にその勇気が出なかった。全く何をする気力もなく、まるで胸の中を風が通り過ぎて行くような気持ちだった。
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何度も思い迷った末、遂に決心して〇〇まで行ってみることにした。品川で〇〇〇〇に乗り換え、正味55分で〇〇に着いた。始め道も尋ねず闇雲に歩いたので・・・・
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全く、自分でもよく出かける気になったものだと思うし、また良くもあんなに簡単に見つかったものだと思う。
彼女の家・・・夜なので良くは見えなかったが、洋風のとても綺麗な家だった。洒落た形の2階の窓が一部ぼうっと明るくなっていたのは、彼女がスタンドの灯りで勉強でもしていたのだろうか。・・・
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(注1): 旧友と何を話したのか、駒場の図書館で何を勉強したのか、何の記述も無ければ記憶もない。ただ、毎日、女性に対する憧れと気後れ・・劣等感とまでは行かない引け目・・の間を彷徨っていた。こんな状態でも人並みの成績だったのだから、気が進まないながら多少は勉強もしていたのだろうが、所詮、国家・社会を支える大黒柱とは無縁の存在だった。因みに、桐生市立西中学校3年4組のクラスメートには、褒章受勲者が2人いるし、東大文1‐6組の仲間には旭日大綬章の受勲者が何人も居る。改めてこの道一筋に邁進した彼らに敬服する。
(注2): 駒場以来、片思いとすらいえない憧れを抱き続けた女性の家を探し当てた時の経緯と感懐の一端である。日記には、その間の逡巡と紆余曲折、夢想と感傷が縷々書き連ねてあるが、我ながら読むに耐えない自己陶酔の羅列なので、割愛せざるを得ない。しかし、意外に多くの青年が一度はこんな気持ちを経験したことがあるのではないかと思わないでもない。
近頃の流行語では、相手の意思を無視して自分勝手な要求を強要することをストーカー行為と言うらしいが、逆に相手の意思を忖度しすぎて、自分から勝手に身を引いてしまう私のようなケースは、何と言ったら良いのだろう。近頃はやりの草食系というのはこれに近いのかどうか知らないが、何れにしても健全な精神状態とは言いかねる。
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