1961.5.30(火) 美女軍団への NATO の抵抗
地学の時間、例のパラソルの女の子が・・・
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今日はまた 肩も露わな薄い服を着たきりで、綺麗なのは相変わらずだがその服装には相当の抵抗を感じざるを得なかった。・・・
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彼女の顔や態度には好ましい点の方が多いのだが、それとあの大胆な服装とはどうしても一致しがたいように思われてならない。
(注: パラソルの女の子とは、1961.5.6(土)の日記 "神宮外苑まで出かけたものの ・・・" で触れた Azalea のことである。 抵抗を感じながらも無視できなくなりつつあった。
赤坂でカラオケレストランをやっている中高生時代の悪友から、"関口は大丈夫だろうか" と心配されたほどの NATO だった私にとって、彼女のように開放的な女性は魅力的であればあるほど、人生を共に出来そうには思えなかった。
そのことは、1961.5.16(火)の日記 "駒場の一日・・・統計学やら女性への関心やら" にも書いた。)
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