1961.5.24(水) "スチュワーデス"
雨が降ったのでテニスは出来ず、330番で高島先生の欧州視察団を聞くことになった。
その後、例のごとく大竹らとお茶のみ場へ行き、また雑談を楽しみ、時間が来たので一緒に出たとき、ちょうどアーケードの方へ例の "スチュワーデス" が行くのが見えたので、杉山に知らせると、「おお、あれだ。 しもうた・・・」 と言った調子で実に愉快だった。
四時限は杉山に付き合って生物の講義を聴いたが、生命現象についてかなり詳しいことが説明され大変興味深かった。
また明日は露語の時間、"スチュワーデス" の傍に席を取れるよう計らってやる約束をしたが、果たしてどうなる仕儀と相成るか興味津々といった所である。
(注1) 高島教授の話で記憶に残っているのは、彼がこれから Bach の墓参りに行くといったら花屋の主人が Euer Bach! といって感激し、只にしてくれた話、ある日本人の哲学者がレストランのウェートレスに注文の料理があるかと聴いたら "Selpstverstaendlich!" と即答したのに驚き 「さすがドイツでは、田舎レストランのウェートレスでも "自明的" と言う哲学用語を知っている」 と言って感激したという笑い話の2つである。
(注2) "スチュワーデス" とは、彼がそう思い込んでいただけで、暫く前までは "インスタントコーヒー" と呼んでいた女子学生のことである。学年やクラスが違うだけでその位、情報が錯綜していた。 今の東大生には考えられないまどろこしさかも知れないが、当時は、むしろそれが普通だった。そういえば杉山も私も地方男子校の出身だったから、その所為も多分にあったかも知れない。
(注3) 生物の講義に痛く感銘を受けたかのごとく言っているが、いささか失望したことも確かである。 それは、意識現象に実体は無く、"脳内化学反応の反映に過ぎない" と言ってお茶を濁していたことだ。 そんなことは当たり前で、問題は、その "反映" のメカニズム、どのようにして意識が発生するかではないか。 それが分からないからと言って "実体が無い" とは何事だと言いたかったことを思い出す。
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