1961.6.2(金) "西独の出家青年" と "Pity's akin to love" の間
地学が休講なのは判っていたが、部屋に燻っていてもつまらないので学校へ行ってみた。 丁度、渕上が来ていてバドミントンに誘われたので一時間ほどやってみたが、不思議なほどうまくいかないので呆れてしまった。
(注: 私がサラリーマンになってからも必修科目とも言うべき ゴルフ を1回社内コンペ・・コンペとは何ぞや・・に出ただけでやめてしまったのは、かかる運動神経の持ち主だったからで他意はない。)
その後、十二時半から、西独人でアジア旅行中タイで meditation に興味を持ち出家したという写真家ホルストエルラー氏の話を聴いた。 スライドを使ってドイツや東南アジア諸国の事情について、主に仏教(宗教)の立場からなかなか興味ある話があったが、結局その眼目は何かと言えば、ヨーロッパでも自然科学の発達に伴い宗教は既に力を失いつつあり、青年達で真に宗教に関心を示すものは稀になったと言うことであり、これを救いうるのは仏教、それも ZEN 以外にはないと言う所まできていると言うことであった。 まことに我意を得たりと言う所である。
(注: 我人生路線に間違いなしと心強く感じたことはたしかである。 しかし、その禅も今や世襲業化して、浅薄な論理学の衣をまとい風前の灯と化している。)
北寮の前で渕上と別れ、ぶらぶらしていると阿部に声をかけられ、一寸立ち話をし、それから・・・・・・
(注: 日記には阿部としか書いてないので確信はもてないが、一緒に駿台を受けた桐高の一年後輩、安部達雄君だったろうと思う。)
教務の脇を通って書籍部のほうへ行こうとしたら、向うから MK さんが一人でやってきたので、思わずどきりとして足を止め相手と目が合わないように念じ乍らじっと姿を目で追っていると、向うでもそれに気がついたらしく、何か非常に窮屈そうな表情でじっとうつむきがちに前方を見つめたまま第一本館に姿を隠したが、全くあの人のそういう姿を見ると、最近、杉山たちに釣らされて S. や P. に心を動かしたのが何とも恥ずかしく、慙愧に耐えない気持ちになる。
(注: タイで出家した西独の青年と女の子の誰彼に対する独りよがりの憧れや反省に現を抜かしている自分との距離の途方もない大きさに愕然とした。 S. とは杉山の言う スチュワーデス 、P. とは私が符牒で呼んでいたパラソルの女性のことである。 実を言うと私は文学作品を通して読んだことがなく、漱石の三四郎もその例に漏れなかった。 従って、 美禰子が呟いたという "Pity's akin to love" の本当に意味する所が何辺にあるかも判っていなかったが、にも拘らず何か通ずるものがあった。)
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