1962.5.28(月) 阿部達雄、石川嘉延と私を繋ぐ縁?
木村さんは今日も休講だった。書籍部で阿部、石川と会い、一緒にメトロでクリームソーダを飲みながら、経済学談義をやった。石川は人生が空しく感じられてきて仕方がないと嘆いていた。全く同感であった。3限の原理論は殆んど上の空で聞き流し、落書きをしていた。
帰りにまた澁谷から駒場まで歩き、矢内原公園で少々金融制度論を読んだ。寮食で夕食を済ませ、図書館で少し休んでから帰る途中、矢内原門のところまで来たとき、丁度、階段を登って入ってこようとしている女の子がいたので、誰かと思ったら何とHさんだった。
全く意外だったので、咄嗟には確認できず、思わず彼女の顔を凝視してしまった。彼女の方でも全く同じように驚いた顔つきをしていた。
(注1): 阿部君は桐生高校の1年後輩、石川君は後年、郷里静岡県の知事を4期16年やり、公約通り富士山静岡空港を実現した畏友であるが、彼等とこんな人生論を交わしたことがあったとは、今日の今日まで忘れていた。
そういえば、彼等二人が駒場時代から親しかったことは、1961.9.25(月)の日記にも書いた。
(注2): Hさんというのは、1年前、湘南高校一の美少女が入学してきたと噂され多くの男子学生に騒がれた人である。友人の一人が夢中になって、かなり積極的にアプローチしていたが、その後の消息は聞いていなかった。勿論、私も人並みに関心は持っていたし、先方もこちらの顔は覚えていたらしい。
<< ホーム