1961.6.6(火) 経済学部のガイダンスも上の空
新宿で降りられず四谷まで連れて行かれ、お蔭で30分も遅刻してしまった。
統計学を聴く気にもなれず、大竹と一緒に正門前の芝生で本を読んだり寝ころんだりしているうちに昼になり、そのまま四限の仏語もさぼって600番で昼寝をしていた。
3時50分から経済学部のガイダンスを聴き、結局殆ど勉強もしないで1日終わってしまった。
S には一度も会わなかったが、P には地学が終わった後アーケードのところで一度出会い、更に教務の廊下の窓から協組のほうへ行くところを見かけた。
またガイダンスの始まる前、大竹、黒川とお茶のみ場へ行く途中、試験事務所脇で MK さんと行き会った。 全く感じの良い人である。
(注1) 新宿で降りられなかったのは、当時の中央線の混雑ぶりが並大抵のものではなかったからである。 文化一類に入りながら、大半の学生が志望する法学部のガイダンスに出席した記憶はない。 それほど経済学部に入りたかったのかと言えば、そうでもなかったことは、日記に何の記述もないことからも明らかであった。 興味のない分野を単に義務感から受験した結果がこうなることは今も昔も変わらない!
(注2) 相変わらず S や P のことは気になっていたのか毎日のように何らかの言及がある。 そして MK さんへの賛嘆の言葉も・・・多分、自分の節操のなさに負い目を感じ始めていたのだろう。 しかし古希を超えた今なお、一番懐かしく思い出すのは MK さんの控えめな姿である。
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