1961.11.26(日) 母の退院
12時頃病院に行ったが、ガラクタが一杯で始めのうちは、何から手をつけてよいのか見当もつかず、暫し、呆然としてしまった。 そのうち治さんも来て何とか恰好をつけ、皆に見送られて46日ぶりの退院となった。
登美さんのところで暫く休んでから、泰代と二人で少しずつ荷物を分担して帰ることにした。
・・・・
(注: 子宮筋腫の手術で慈恵医大付属病院に入院していた母のフジヱが、無事退院した時の顛末である。 治さん、登美さんというのは、2人とも浅草に住んでいた母の妹達である。 荻窪の多家で一緒にお世話になっていた私と妹の泰代、それに治子叔母の3人で、退院の荷作りをし、登美子叔母のところまで送ってから、一休みして帰ったらしい。 帰った先が桐生の我が家なのか、荻窪の下宿先なのか、誰がどこまで帰ったのかもはっきりしない。)
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