2013年9月1日日曜日

1962.6.19(火) それぞれの挫折体験?

・・・大竹と一緒に〇〇の見舞いに行く。
大橋先生のところへ寄ってお話を聞いたところ、・・・・・・・・・・ ということであった。
まったく僕も、少し、調子付いていた言うほかない。だいいち、一度も大橋先生の指示を受けずに面会していたというのが、間違いの因だった。以後、自重しよう。

帰りに、金子さんのところへ寄ってみた。教育実習が始まってからもう1週間になるそうであった。28日まで毎日6時前起床は一寸辛いだろうと思う。健康を害さず無事完了して欲しいものだ。
フジテレビの試験は4次まで進んだところで、ウインクを拒否したため失格になったとのこと、鴨下さんも同様だそうであった。蓋し、無理からぬことである。

(注: 前半は、駒場時代からの友人の一人が、本郷へ移った頃から厄介な病気を患い、入退院を繰り返していたので共通の友人であった大竹と一緒に見舞いに行ったときの顛末であるが、本郷構内に病棟があった気安さから、主治医に断りも無く病室へ出入りしていたのを注意され、甚く反省した次第。
後半は、これまでも何度も登場している桐生西中時代の級友で、早大文学部4年生だった金子安江さんの教育実習と就活での悪戦苦闘に同情した経緯である。それにしても、民報TV会社の入社試験の低劣なことには今更ながら恐れ入る。これがこの50年来変わらぬマスコミの本性だったということだろう。)

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