2010年8月31日火曜日

1960.8.25(水?) 西荻界隈の散策

午前中借りてきた石坂洋次郎の本は4時ごろまでに読んでしまった(終わりの方はつまらないのでぱらぱらと跳ばして読んでしまったが)ので、本屋に返しがてら、そのまま荻窪の方へぶらぶらと散歩に出たのはよいが、高井戸から荻窪へ戻ってからどう方角を間違えたかさまよいにさまよった挙句、井之頭線、富士見が丘の駅の所へでてしまった。 全く驚いたが、とにかく懐中無一物では電車に乗るわけにもいかない。 しかたなく線路を見失わないよう気をつけながら三鷹台まで歩いた。

気がついたときは不思議なこともあればあるもので、田村さんの家の前に来ていた。 よっぽど立ち寄って帰りの足代でもお借りしようと思ったのだが、どうも夜になってしまったことだし具合が悪いので観念して立教女学院の前まで出、それからは勝手知ったる道なので安心して家まで戻ってきた。
とにかく今まで何度も道に迷ったことはあるが、こんなに遠くまで迷い込んでしまったのは、去年の夏、大泉の方まで行ってしまったとき以来である。

しかし、西荻に住み着いてから2年あまりの間に、よくもまあこれだけ隈なく歩き回ったものだと思う。 とにかく西荻・荻窪間で一度も通ったことのない道は皆無と言ってよいくらいだ。

(注: 私が散歩好きだったと言うのも事実であるが、それよりも、勉強が手につかず部屋に閉じこもっていられなかったという方が正直な所である。
このあと9月22日まで日記帳には何も書かれていない。)

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2010年8月13日金曜日

1960.7.?(?) 前期最後の授業?

小宮さんの授業が終わって皆と階段のほうへ行ったとき、丁度 MKさんが110番教室に入っていくところを見た。 あとで何の授業だったのか戸口の時間割表を見たら、3語の露語であった。 MKさんのことだからその位はやりかねないにしても、理科生でありながら 3語までやろうという意気にはまったく感嘆するとともに圧倒されるのを如何ともしがたい・・・

(注: 小宮さんというのは後年有名になった彼の小宮隆太郎のことだったのか? 当時の駒場は、マル経一色で近経はやっていなかった筈だから、多分ドイツ語か何かだったのだろう。 駒場の授業で比較的まじめにやったのは、英独仏の3ヶ国語と露西羅を少々、ほかには哲学・地学・社会学くらいだった。

それでも上位3分の1には入っていたのだから、行こうと思えば法学部にはらくらく行けたが、法学部なんぞは世間の常識を教えるところで学問や研究とは無縁の存在だと思っていたから、結局行くところがなくて途方にくれていた。 大石ゼミで数理経済をやることになったのは、クラスメートの奇人? 小西靖生君が頻りに キンケイ、キンケイ と言うので、いったいどんな学問かと聞いたら、とにかくやたら難しい数学を使う学問だと言うので、それなら法学よりは多少ましだと思ったに過ぎない。

今から思えばそんな状態だったから日銀などに入れるはずも無かった。 MKさんが理系だと書いてしまったので友人の中にはそれだけで本人を特定できるものがいるかもしれない。 その位、当時の東大では女子学生が珍しく、ましてや理系ともなれば尚更のことだった。)

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