2012年5月31日木曜日

1962.4.14(土) 論理的可能性と社会的蓋然性の距離?

8時25分頃、学校についたのは良いが、玉野井さんは休講、全くがっかりした。
・・・・・・
岡さんの時間、大竹、馬場と一緒になった。 大竹からは、全く意外な話を聞いた。・・・・・

(注: 玉野井さんと言うのは理論経済学の玉野井芳郎教授、岡さんと言うのは憲法学の岡義武教授のことであるが、私はこの種の科目自体に全く興味がもてず、何を聞いたかまったくと言っていいほど覚えていない。

大竹から聞いた意外な話というのは、ある友人が奇妙な強迫観念にとらわれているらしいというものであったが、これ以上は本人のプライバシーにかかわるのでここに書くわけにはいかない。


ただ、その内容は、論理的にはありうるが、社会的には殆んどありそうもないことを現実の問題として真剣に受け止め、悩んだり、心配したりするというもので、今で言う統合失調症の範疇に属する話だった。 当時の私には、明らかにおかしいと言う印象しかなかったが、50年後に、A型大動脈解離で一旦植物状態になってから、数日後に意識が回復した直後、同じような精神状態になり、主治医から ICUシンドロームと指摘されるに及んで、当時の彼の心境が判ったような気がする。
つまり、論理的な可能性は否定できないし、何も矛盾はなく、決して支離滅裂なことを強弁しているわけではないのだが、社会的蓋然性という意味では、まったく有りそうも無いことを現実に起こっているように思い込むのである。 しかし、蓋然性がいくら低くても実現することが皆無でないとすれば、まさに、気狂いと天才は紙一重だと言うのはこのことかも知れない。) 

帰りに3人で神宮へ東法戦を見に行った。 確か6回目位だったが、0-0の伯仲戦だった。 しかし、新治の居ない東大投手陣の弱体は覆うべくもなく、力負けの感じで、結局1-0と法政の勝利に終わった。 しかし、昨年の春、見に来たときの惨敗ぶりに比較すれば、エラーもあまり無く、時には鮮やかなダブルプレーも有ったりして、気持ちの良い試合だった。・・・・・
・・・・・そのうちに山辺も来て、慶明戦を最終回の表、慶応が4点を入れたところまで見て引揚げた。スタジアムを出たところで奥原と会った。 外野に居たのだそうである。

(注: 後に東大初のプロ野球選手になった新治伸治が投手として大活躍を始めていたので、我々も大いに期待して出かけたのだが、何かの都合で彼が欠場だったので、惜しいところで勝利を逃がしてしまった。 しかし、チーム全体の士気は一年前とは様変わりだった。)

ラベル:

1962.4.14(土) 何で東大なんかに入ったのだろう・・・時間の無駄?

12時頃下宿を出たものの、何処も行くあてがないので、教育園の辺りまで行って引き返し、部屋に篭って過ごした。 行列を少し勉強したが、どうしても身が入らない。 ぼんやりしていて、ふと気がつくと、いつの間にか・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
いや、そんなことはどうでも良い。 問題はいったい、いつになったら勉強に没頭できるようになるのだ。
こうしているうちにも、どんどん時が経って行く。 このまま1年経ったら恐らくもう取り返しのつかないことになるだろう。 何とかしなければ・・・・・本当にここで何とかこの泥沼から抜け出さなければならない。
・・・・・
・・・・・

(注: 大学も3年目ともなると、いつまでも夢想の世界に止まって居られなくなり、具体的な目標に向かって一歩一歩着実に歩を進めていかざるを得なくなったが、そもそも 最終目標 があまりにも現実離れしていて具体的な目標を立てられなかった。)

ラベル:

1962.4.11(水) 東大オーケストラの少女(?)

久し振りに、若槻、奥原の顔を見た。 昼休みは武藤と食事をしたり、三四郎池の畔で魚の群れがパンをつつくのを見たりして過ごした。

4限終了後、高橋、大村と会い、バス停のところへ行く途中、一食の前の広場で大きな楽器のケース(ベースか何かだろう)を下げた女の子に出会ったが、顔かたちが、Hさんにそっくりと言って良い位似ていたのには、本当にびっくりした。 もっとも背丈はHさんより一寸程高いように思われたが。
恐らく東大オーケストラのメンバーで、明日の入学式に備えて練習でもあったのだろう。

(注: 若槻、奥原、武藤は、法学部へ、高橋、大村は私と同じ経済学部へ進学したが、どちらの学部も銀杏並木の両側にある法文経1,2号館にあり、幾つかの必修科目は共通だったので、休み時間は駒場時代の級友と一緒に過ごすことが多かった。
当時の入学式では、式の冒頭にワグナーの "名歌手の入場" が演奏されていたと思う。 果たしていまでもそうなのか、寡聞にして知らない。)

ラベル: