1961.10.30(月) 母の手術・・・全身麻酔の衝撃的印象
病院へ着いたのは十時頃だったので、もう手術は始まっていた。 父も来ていて翻訳者との一件について話してくれた。 まったく妙としか言うほかない出会いである。
1時間の予定だったそうだが、10時から始まった手術がかなり手間どり、1時近くなって漸く終わった。(休憩)
(再開・・・12/26)担架で送られてきた母の顔を見たとき思わずぎょっとした。 全く死人のようなとはあれを言うのだろうか。 今更のように麻酔の物凄さに仰天した。 普通の寝顔を予期していた目には、あの微動だにもしない蒼白の顔はあまりにも大きな衝撃であった。 改めて手術と言うものの恐ろしさを骨身に徹して知らされた気がする。 ・・・・・・(休憩)
(再開・・・2012/1/9)
1時15分頃、東京タワーから渋谷行きのバスで学校へ向かった。 着いたのは2時5分位であった。
アーケードを経て900番へ行く途中、600番の方から来た P 達に行き合った。 今日は例の男は居らず、他の女の子達と一緒で何か賑やかに話し合っていた。
900番に本を置いて協組のテントへ行って見ると、 W 達が鉢巻をしていた。 また賃上げ要求であろうか。 戻ってくる途中30番脇ので出口から P が今度は一人で出てくるところに出会った。 彼女と一対一で出会うのは久し振りだが、やはり、・・・・・
何とかして彼女に自然に近づく方法はないものか・・・・・
(注: 前半は、母が子宮切除手術を終えて手術室から手術台に横たわったまま運ばれてきた時の様子である。 とても生きているとは思われなかった。 手術が終わるのを待っている間に、父から "バイオリン奇譚" の翻訳者が見つかったことを聞いていたはずだが、全く記憶がない。 この分では、前回の日記、"1961.10.26(木) 授業の合間の気晴らし、忘れていた恩人の記録" の注で書いた片山氏とは関係のない別のルートだったのかも知れない.
後半は、学校へ駆けつけた後の顛末であるが、相変わらず女性のことしか書いてない。 全ては "縁" だという一種の運命感をもっていたので、こちらから行動する気は殆ど無く、只管めぐり合わせを期待していたが、それにしても未練がましいことこの上ない。)