2010年10月29日金曜日

1960.10.29(土) 大盛況の玉木ゼミ ・・・ 周囲は理科生ばかりなり

物理研究室の前で一寸気後れしたが、思い切って入ってみると満員の盛況。 それでもまだ幾らか早かったと見えて大分席が空いていたので前の方へ中村の分も取ることが出来た。 そのうちに次第に混雑してきて席はいっぱいにふさがり、その上大勢が立つという状態になったが、その立っている人たちに混じって MK さんの姿も見えた。・・・

・・・

こうして周囲を理科生たちに取り巻かれて講義を聴いていても教養の差をまざまざと見せ付けられる。 到底彼らとの間にスムーズなコミュニケーションが成立するとは思われない。 しかし、それくらいの事は始めからわかっていたはず・・・

・・・ 文科生でありながら、理科生に劣らぬ自然科学に対する知識と理解力を持つ、それこそ僕が東大へ入った最大の目的であり、念願だった・・・

・・・ それが僕の究極の目標である科学と宗教の結合を実現するための第一歩なのだ。

(注: ・・・ 今まで何で、東大、それも文科などに入ったのか、すっかり忘れていたが、要するにこういうことだったのだ。 思えば全く無謀な大風呂敷を広げて収拾がつかなくなっていたのだった。 しかし、せっかく拾った命の使い道としてはそれも悪くない。 所詮人生は夢のまた夢 ・・・ と思う今日この頃である。 )

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2010年10月28日木曜日

1960.10.28(金) アーケードの掲示

三時限の社会学が終わったので10番教室へ行ってみたら、まだ前の時間の数学の授業をやっていた。 手持ち無沙汰なのでアーケードの掲示を見に行ったところ、計らずも MK さんがいたので驚いた。 始めはそれに気付かず、あれこれ掲示を眺めていたのだが、何の気なしに振り返ったら MK さんがゼミナールの掲示を見て何やら書きとめているところだった。

(注: 駒場の2年間にこういうことが何度もあったのに、声をかけることさえ出来なかった自分の気の弱さには今更ながら呆れ返る。)

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2010年10月25日月曜日

1960.10.24(月) 猫も杓子もロシア語の時代

政治学の時間に中村が美作の隣に来てしきりに何か言っているので、見ると、教養学部報のゼミナール紹介のところを指して、しきりに何か勧めているらしい。そこで、話に加わり聞いてみると、玉木教授の物理のゼミのことだった。 ロシア語のテキストを使い、一切予習は要求せず、一学期にロシア語を採らなかった者でも文科生でも良いのだそうである。

(疲れたので中断する・・・ 10.25)


(10.26 昨日の続き)

全く、僕にとっては耳寄りな話で、こういうものが無いものかと探しあぐねていた矢先だから勿論大喜びした訳だが、英独仏の外にロシア語までというのはどうかと心配にならないことも無い。 しかし、何と言っても予習せずに済むというのは大きな魅力だし、・・・・・・ たとえどのような負担がかかろうとも、この機会を捉えて勉強しないと言うのは嘘である。・・・

(注: 日記には殊勝らしいことしか書いてないが、動機の中に MK さんと知り合いになるチャンスかもしれないと言う気持ちがあったことは確かである。 いずれにしても、当時、有人宇宙飛行で先行していたソ連・ロシアに対する学生の期待は、今では想像もつかないくらい大きかった。)

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