1962.4.14(土) 論理的可能性と社会的蓋然性の距離?
8時25分頃、学校についたのは良いが、玉野井さんは休講、全くがっかりした。
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岡さんの時間、大竹、馬場と一緒になった。 大竹からは、全く意外な話を聞いた。・・・・・
(注: 玉野井さんと言うのは理論経済学の玉野井芳郎教授、岡さんと言うのは憲法学の岡義武教授のことであるが、私はこの種の科目自体に全く興味がもてず、何を聞いたかまったくと言っていいほど覚えていない。
大竹から聞いた意外な話というのは、ある友人が奇妙な強迫観念にとらわれているらしいというものであったが、これ以上は本人のプライバシーにかかわるのでここに書くわけにはいかない。
ただ、その内容は、論理的にはありうるが、社会的には殆んどありそうもないことを現実の問題として真剣に受け止め、悩んだり、心配したりするというもので、今で言う統合失調症の範疇に属する話だった。 当時の私には、明らかにおかしいと言う印象しかなかったが、50年後に、A型大動脈解離で一旦植物状態になってから、数日後に意識が回復した直後、同じような精神状態になり、主治医から ICUシンドロームと指摘されるに及んで、当時の彼の心境が判ったような気がする。
つまり、論理的な可能性は否定できないし、何も矛盾はなく、決して支離滅裂なことを強弁しているわけではないのだが、社会的蓋然性という意味では、まったく有りそうも無いことを現実に起こっているように思い込むのである。 しかし、蓋然性がいくら低くても実現することが皆無でないとすれば、まさに、気狂いと天才は紙一重だと言うのはこのことかも知れない。)
帰りに3人で神宮へ東法戦を見に行った。 確か6回目位だったが、0-0の伯仲戦だった。 しかし、新治の居ない東大投手陣の弱体は覆うべくもなく、力負けの感じで、結局1-0と法政の勝利に終わった。 しかし、昨年の春、見に来たときの惨敗ぶりに比較すれば、エラーもあまり無く、時には鮮やかなダブルプレーも有ったりして、気持ちの良い試合だった。・・・・・
・・・・・そのうちに山辺も来て、慶明戦を最終回の表、慶応が4点を入れたところまで見て引揚げた。スタジアムを出たところで奥原と会った。 外野に居たのだそうである。
(注: 後に東大初のプロ野球選手になった新治伸治が投手として大活躍を始めていたので、我々も大いに期待して出かけたのだが、何かの都合で彼が欠場だったので、惜しいところで勝利を逃がしてしまった。 しかし、チーム全体の士気は一年前とは様変わりだった。)