1960.6.17(金) 安保闘争≒学園祭行事
滝田先生がなかなか現れないので、水のみ場の方へぶらぶら歩いて行ったら、池田、江田の両人が負傷者救援カンパの募金箱を作っている所に出食わす。 江田が用が有って出かけなければならないので代わってくれと言われ、しぶしぶ引き受けたのだが、やってみると非常に楽しい。 そのうちに大きな立て看板を作ろうと言うことになり、水飲み場に行ったところ、そこでやはりプラカードなどを作っていた一団の中に MK さん達(数人の女の子と一緒に)がいたので、思わずどきっとした。 結局、彼女らのすぐそばで細工を始めたわけだが、池田や堺とべちゃくちゃふざけながら・・・・・
(注: 滝田先生というのは、小柳皓正君と一緒に選択していた第3語学の仏語の講師のこと。小柳君とは妙に気が合って、独語の会話まで習いに行ったりした。最後まで頑張って結構いい線まで行ったのに、西武事件に巻き込まれて自殺してしまったのが惜しまれる。江田というのはご存知江田五月のことである。 カンパとは、クラスメートの一人が一昨日の国会突入騒ぎの中で逮捕されたりしたので、主義主張とは関係なく皆で仲間を応援しようということになったまでのことで、日米安全保障条約などどうなったか知ったことではなかった。 まったく、John Foster Dulles の言ったとおり若者の一度は罹る熱病のようなものだったのだろう。)
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