2010年6月17日木曜日

1960.6.17(金) 安保闘争≒学園祭行事

滝田先生がなかなか現れないので、水のみ場の方へぶらぶら歩いて行ったら、池田、江田の両人が負傷者救援カンパの募金箱を作っている所に出食わす。 江田が用が有って出かけなければならないので代わってくれと言われ、しぶしぶ引き受けたのだが、やってみると非常に楽しい。 そのうちに大きな立て看板を作ろうと言うことになり、水飲み場に行ったところ、そこでやはりプラカードなどを作っていた一団の中に MK さん達(数人の女の子と一緒に)がいたので、思わずどきっとした。 結局、彼女らのすぐそばで細工を始めたわけだが、池田や堺とべちゃくちゃふざけながら・・・・・

(注: 滝田先生というのは、小柳皓正君と一緒に選択していた第3語学の仏語の講師のこと。小柳君とは妙に気が合って、独語の会話まで習いに行ったりした。最後まで頑張って結構いい線まで行ったのに、西武事件に巻き込まれて自殺してしまったのが惜しまれる。江田というのはご存知江田五月のことである。 カンパとは、クラスメートの一人が一昨日の国会突入騒ぎの中で逮捕されたりしたので、主義主張とは関係なく皆で仲間を応援しようということになったまでのことで、日米安全保障条約などどうなったか知ったことではなかった。 まったく、John Foster Dulles の言ったとおり若者の一度は罹る熱病のようなものだったのだろう。)

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2010年6月15日火曜日

1960.6.15(水) 樺美智子の死・・・1つの時代の終わり

何ということだ。 遂に死者を出してしまった。 個々の警官の行き過ぎは勿論責められねばならない。 しかし、一切の責任は、全学連中執の近視眼的、且つ軽薄なる指導(或いは煽動)に有ったと言って良いであろう。
岸内閣のやり方には確かに承服し難いものが無いではない。 しかし、政府の方針を全面的に否定し、すべて陰謀であり、国を売るものであり、民衆を虐げブルジョワジーに奉仕するものであるかのごとく誹謗する彼らに対して、政府が断固たる態度を以って臨み、一切の妥協を容認しようとしないのは、一面無理からぬことであろう。 要するに、政府自らも言っているように話し合っても無駄だからである。 とにかくえらい騒ぎになった。・・・・・・・・・
直接、その行動をとったのは勿論一部の無思慮な人たちであろう。 しかし、問題をこうした拙い局面に持っていってしまった政府にも究極の責任は負わされねばならないであろう。

(注: 今から読むと随分ミーハー的な青臭い解釈をしていたものだと思う。 ソ連を中心とする国際共産主義勢力の革命工作にナイーブな青年達が乗せられていただけのことだったのに・・・それにしても全学連中執の連中は本気で革命が可能だと考えていたのだろうか。 そうだとすれば、彼らの方がよっぽどナイーブだったと言うしかない。 そもそも食うに困らぬ国で革命が成功した例しが無いではないか。 金持ち喧嘩せず というのは人類社会共通の真理である。)

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2010年6月14日月曜日

1960.6.14(火) 井の頭線で席を譲る・・・ただそれだけのこと

朝、電車で登校する途中、まったく思いがけないことが起こった。 たしか下北沢あたりだったろうか、どっと、かなり大勢の乗客が入ってきて、僕の前に立った(前から立っていたのか)女の人が少し窮屈そうだったので、もう間もなく下車するのだしと思って席を譲ろうとしたところ、何気なく相手の顔を見たら、何と MK さんだったではないか! 向こうもいくらかびっくりしたらしかったが、とにかく黙って坐ってくれた。
ほんの一瞬見ただけだったが、今日の MK さんは、また素晴らしく美しく見えた。 見えたと言うより実際、実に美しかった・・・

(注: 小説の世界なら、これをきっかけに新たな物語に発展する所だろうが、結局、千載一遇の機会も ただそれだけのこと に終わってしまった。 その頃の私には、まだ自分の運命を一人の女性にかける覚悟ができなかった。)

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2010年6月3日木曜日

1960.6.3(金)~14(火) ラジオで聞いた曲・・・続き

1960.6.3(金)
弦楽セレナーデ 作品48 チャイコフスキー

1960.6.4(土)
バルトーク ルーマニア舞曲集より
         足踏みの踊り

1960.6.5(日)
ラベル 舞踊組曲 ダフニスとクローエ

1960.6.6(月)
シューマン 女の愛と生涯より 絆

1960.6.13(月)
ショパン 風の精から 前奏曲

1960.6.14(火)
モーツアルト フィガロの結婚 序曲
ロッシーニ  セビリアの理髪師(上の前編)
ウエーバー  魔弾の射手 独最初の国民歌劇

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2010年6月2日水曜日

1960.6.2(木) ストレイシープ

昼休み、何となく気が滅入って仕方がなく、第一本館の廊下をぶらぶら歩いていたら、東側の入り口の所で外から入ってきた MK さん達に会った。(OH さんも一緒だった。) 入学式の時も MK さんの変わりように驚いたものだが今日はそれ以上に驚かされた。一瞬、別人かと思ったほどだった。あの頃に比べると見違えるほど、明るく生気に満ち、むしろ華やかな感じさえおぼえさせる。本当に楽しそうだ・・・。

(注: 漱石の三四郎には程遠いが、当時の私には身につまされる日々だった。 予備校時代の MK 嬢は、華やかというより、物静かでむしろ内省的な印象だったが、入学後の彼女は行き会うたびに華やかさを増し、益々手の届かない遠い存在になっていくような気がしてならなかった。 おそらく半分は事実だったろうが残りの半分は田舎者の引け目が助長していたのだろう。 次の年にどっと入学してきた煌びやかな美女達・・・三四郎に出てくる美禰子のような・・・とは次元の異なる華やかさだった。)

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