1961.5.16(火) 駒場の一日・・・統計学やら女性への関心やら
今日の統計学には全く呆れた。 こんなに判らなくなるとは思わなかった。 このままでは如何なることやら全く心細い限りだ。 折を見て徹底的にやり直さねばなるまい。
(注: 結局、期末試験の結果は "良" で終わったが、1年後に本郷に行ってからは、理論経済学の基礎だと言うので、一念発起して頑張り、宮沢教授の数理統計学で "優" をとって何とか雪辱を果たした。 その結果、つくづく判ったのは何かと言うと、統計学が大数の法則を前提とする以上、統計数値が教えてくれるのは飽く迄も大量の母集団における傾向であって、個々の構成要素に関しては何も語ることが出来ないということであった。
そのことは、私自身、10年前の前立腺癌全摘手術の際、改めて実感させられることになった。 つまり、手術の成功率や予後に関するデータも、全て医師や行政のように、多数の患者における割合を問題にする立場の人々には有意義であっても、一つの体と命しか持っていない個々の患者の傾向については何も語っていないという事実である。
なぜなら、個々の患者はたった一人であって大数の法則が成り立つ余地がないからだ。 つまり、成功率は "1" か "0" だということである。 このことを、きちんと言ってくれる医師や行政担当者はいないし、実際、殆ど知っているかどうかすら覚束ない。
更に悪質なのは知っていながら言わず、逆に悪用する輩が多いことである。 いわゆる、統計の嘘がまかり通っているのは何も経済や政治ばかりではない。 その点では、軍事作戦やスポーツにおけるリーグ戦のように、一人一人の生死や一戦ごとの勝敗は如何でもよく、全体としての勝率が問題になる場合は大いに有効である。)
一時限が終わったのでお茶のみ場に行っていたら、MK さんが化学教室の方から来るのが見えた。 また昼休みに食堂へ行く途中、300番の方から来た所に出くわし、・・・・
・・・・・
放課後、駅で電車を待っていたら矢内原門の方から・・・・・
・・・・・
・・・・・あの時の(丁度、ホームへ入ってきた電車に乗ろうとして駆け出した時の )あの顔は本当に美しかった。 それに比べると昼休みに僕のそばに来た女の子(常識的には相当の美人だろうが)などは全く問題にならないように思われた。
(注: 昼休みに僕のそばに来た女の子とは、この春つまり 1961.4 一斉に文Ⅱの仏語クラスに入学してきた 10 数人の女子学生たちの一人で、前にも書いたがキャンパスでも話題になっていた女性である。 いかにも "なにげ" な書き方をしているが、いわば美女軍団への NATO の抵抗のようなものだった。
NATO とは例の北大西洋条約機構の頭文字であるが、 当時の米国の女子学生の間では、話し合いばかりで何もしてくれない "No Action Talking Only" と言う意味で、内気男に対する蔑称として流行していた。 "Talking Only" が蔑称なら、私など "Lookng Only" はどう呼べばいいのだろう。)