1960.7.10(月) 今夜も相変わらずクラシック
ラロー スペイン交響曲
バッハ イタリアンコンチェルト
ベートーヴェン シンフォニーNO1 ハ長調
(注: 以後、8月25日まで日記には何も書いてない。 夏休みになったので桐生に帰っていたのかも知れない。)
1960年4月安保騒動の最中、ノンポリの一田舎高校生だった私は、何の風の吹き回しか東大文科1類に入学してしまいました。そこで、芥川龍之介を気取って「あの頃の自分の事」を関係者の迷惑にならない範囲で実名入りで書綴ってみることにしました。記述は、とくに断らない限り、当時の日記の原文そのままの抜書きとし、必要な場合は(注:)としてコメントを挿入することにします。
関口益照サイト 『一期一会』(Our Eternal Moment)
ラロー スペイン交響曲
明大前で待っていたら、池田 次いで 高橋 がやって来た。 九時二十八分の東八王寺行きに乗り、美作、山田、江田、大山 等と合流し、大分揺られて百草園に着く。 百草園は小高い丘の上に在った。 我々が着いた時は、まだ双方ともに10人くらいしか来ていなかったが、程なく他の連中も到着した。
ラベル: 1960.7.3(日) 初めての合ハイ
チャイコフスキー 白鳥の湖
阿部と一緒に新井薬師の金子さんを訪ねた。 始めはどうも何となく面映くて旨く話が運ばなかったが、少し雑談しているうちにすっかり打ち解けて、随分突っ込んだ話ができるようになった。 確かに阿部と一緒に行ったのは成功だった。 もし二人だけ(金子さんと)だったらどんなに気詰まりなものになったか知れない。 それにしても阿部が思いがけないほど思慮深く重みのある意見を吐くのには、まったく感心すると同時に驚かされた。・・・・・